気宇壮大は明治人の特徴である。
新興国の
乃公出でずんば蒼生を如何せん、俺こそこの先、日本を担う漢なりとの熱血が、国土に遍く漲っていた。
こういう例がある。
二十年代半ばごろ、さる地方都市の一学校を特に選んで、
――将来の夢はなんですか。
そういう趣旨のアンケートが執り行われた。
現代に於いても入学式にかこつけて、よくやっているアレである。
結果は実に六割方が、
「政府の大臣になりたし」
との答えを返したそうだ。
これを受け、福澤諭吉先生などは芟除すべき「封建の遺風」がまだこんなにも残っていたかと瞠目し、「人生の功名富貴は至る処に求むべし、政府の地位羨むに足らず」――もっと民間事業に目を向けろとの言説を逞しくしたものだった。
第二の岩崎、渋沢、大倉――「大商人」を志向する青少年よ、更に増えよ、どんどん増えよ、増えて増えて比率に於いて大臣派を圧倒せよということだろう。
もっとも私の感想は違う。
明治という時代はなんと、上昇志向の横溢しきった世の中か――と、心底舌を巻かされる。
責任ある立場になぞ、頼まれても登りたくない。
ひと財産築いたあとは、とっとと表舞台を退いて、安穏と余生を過ごしたい。そんな思潮が主流となったここ最近の日本を見たら、先人たちはきっと唖然とするだろう。
意気の沈滞、牙の、野心の消失は、爛熟を迎えた文明がほぼ不可避的にぶち当たるべき障碍である。平和ボケと言い換えるのもあるいは可か。この件に就いてはラルフ・ワルド・エマーソンも、
麦酒に漬り、肉食に飽満した者は耳も遠くなり、眼も
と、「コンコードの聖人」の
それだけ深刻な問題ということである。
さて、幸福にもそんな悩みを未だ知らぬ、明治二十三年の日本――。
第一回帝国議会の開催を間近に控えたとある日に、『東京日日新聞』が掲げた記事こそ面白い。時代精神の反映として、これ以上ない出来である。
曰く、
我帝国議会の創始は実に独り内に向って重大なるのみならざるなり、東洋に未曾有なる立憲政体の成否は如何、結果如何は実に世界各国の識者が刮目して之を観んとする所なり。
「代議政治は白皙人種の特有物なり、東洋人は代議政治を行ふの性質を備へず」とは彼れ欧人が常に其の口にする所なり、今我東洋の一帝国たる我日本は立憲の政体を建て代議の政治を行はんとす、其結果如何は実に世界に向って至大の影響を与ふるものなり。
若し其結果誠に善美にして平和正当真に代議政治の実を挙ぐるあらば我国光を発揚し我国威を拡張する事豈少なからんや。然れども若し其結果にして不良ならんか彼等は将に手を拍て言ふ可し、「果せるかな東洋人は代議政治を行ふの性質を具備せず」と、豈国家の恥辱ならずや抑々我東洋の人種の恥辱たるなり。
国会開設は単に日本の国内問題に止まらない。
東洋人の未来さえ占う、人種差別への挑戦であり、世界史的な現象であると、そのように話を拡げている。
責任重大、決して失敗するわけにはいかないと。
なんと若々しい気負い立ち、そうそう
まあ、その誉ある第一回帝国議会を開催した議事堂は、それから半年も経たぬうち――明治二十四年一月二十日に突如炎上、巨大な廃墟と化す運命にあるのだが。
悲愴というか、滑稽というか。
(第一回帝国議会図)
やがて燃え残った柱材が幾点か、競売にかけられる運びとなって、けっこうな額で落札されたそうである。
世に好事家は絶えないものだ。
火事の翌日にはもう既に、鹿鳴館を貴族院に、元工部大学校を衆議院に、それぞれ代用として宛てること、早くも決せられている。
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