街路の落ち葉もずいぶん増えた。
晩秋の気配はすぐそこだ。太陽はいよいよつるべ落としに、呼気が白く染まる日もほど近かろうと思わせる。
夏の盛りに買い積んだ、南洋関連書籍の山を崩すにはもってこいの時期だろう。
満を持して取り組んでいる。その御蔭でここ数日来、
――なんということだ、こんなことがあっていいのか。
と、いったい幾度ひとり言ちたかわからない。全く以って、本当に同じ地球上の沙汰事なのか疑いたくなる描写ばかりだ。
ひとつビルマを例に取ろう。
彼の地が熱狂的な仏教徒の国であるということは、山田秀蔵絡みの記事で以前に触れた。
「家を建てるより
(ビルマの寺院、立ち並ぶ仏塔)
言うまでもなく、「京の着倒れ、大阪の食い倒れ、江戸の飲み倒れ」に擬えられたものだろう。
が、さりとてビルマは広いのだ。
中央から遠く離れた辺土の地では、御仏の光も通用しない、文明以前の野蛮状態が渦巻いている。
北東の高峻な山岳地帯に棲息する某部族には、戦が済むと競って敵の血を啜らんとする、ある種の血液嗜好としか言いようのない奇習異俗が存在していた。
その場でいただくばかりではなく、傷口から溢れる血潮を竹筒に汲み、自宅の軒端あたりから吊るしておいて凝固させ、長期に亘って貯えるという工夫さえも行われていた。で、知己友人の訪問があると、これを取り出し自信満々に饗膳に載せ、歓迎の意を示すのである。
むろん、美味いわけがない。
しかしいいのだ。味は二の次、三の次。彼らはこのようにすることで、打倒した強敵の力――あるいは勇気――を継承できると信奉していた。
血と魂を直結して考えた未開人は少なくない。否、少なくないどころの騒ぎではなく、古今東西ありとあらゆる民族が一度は経ている通過儀礼ではなかろうか。
なにせ一定量の血を抜かれれば、どんな屈強な人間だろうと必ず死ぬのだ。となれば思考回路の未発達な時分のはなし、熱く紅いこの滴こそ
『ジョジョの奇妙な冒険』にも開幕一番あるではないか、「血は生命なり」と。
自己を拡大したい、生物としてより高みを目指したいという欲求はよほどの深み、それこそ人の基底部分に根ざしていると思われる。
その願望を充足させるためならば、多少の吐き気がなんであろう。要は経験値とレベルアップの概念だ。彼らは血液の拝領を通して、現実にそれが可能であると信じていたのだ。
ならやる、やるに決まってる、しない道理が見当たらぬ。
むしろ取り込むモノを血に限っているあたり、ビルマの山岳民族はまだしも理性が効いている。
赤道直下の生々しさは、到底こんな域でない。
つまりはこういう景況だ。
人肉食用を行ふに至った動機は、ニューカレドニアでは翼足類、鼠類のほかに獣肉類が無かった為めだと云はれる。勿論飢餓時には之れが強く行はれた。然し野豚が多いニューヘブリート群島にも人肉食用が盛んであるのみならず、アフリカにも之れが行はわれる所から見ると、之れは単に獣肉欠乏の為め計りで無いらしい。(中略)根本的の問題は、アニミズムからの考へで、犠牲者の霊質を取り入れて自分の身を強めんとするのである。此考に相当する談話は住民が往々語って居る。例へば一酋長が戦死者の足を部下に与へた時の言葉に「之れは我等の敵の一片だ。此肉は我等の戦士に強さを与へるものである」。又一酋長の言によれば「私は人肉を食ってから強くなった」。
一八五〇年にネネマの一酋長は敵の心臓其他を霊に犠牲として捧げて自ら強からんことを祈った後に、水槽に入れて煮て之れを食したといふ。西オーストラリアでも大戦士の脂肪は勇気を与ふるものとして食せられるし、マオリ族も敵の心臓を勇気を増加せしむるものとして食した。中央セレベスにも之れに似た事実がある。(昭和十九年、太平洋協会編『ニューカレドニア・その周囲』113~114頁)
パク・パク人は個人的の敵を喰ふ事に感興を持ち、且特別の興味を覚える。それだから戦争の時には平素
深みの聖者エルドリッチの所業さえ、大南洋では日常風景に溶け消える、ごくありきたりな作業のひとつに過ぎないらしい。
(エルドリッチの故郷、冷たい谷のイルシール)
いや、かの鬼畜外道は自分の子さえ喰っていた、というよりいっそ喰うために設け育てていたような節さえあるから、南洋に於いても異端だろうか? ああ、私は何を書いている。
フロムの世界観と張り合える現実が存在するとは、いやはやなんとも恐るべし、だ。
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