暑い。
八月の半ば、一度は去るかと期待された夏の暑さは、しかしまだまだ健在で。あっという間に勢力を回復、捲土重来を全うし、変わらず私を苛み続ける。
先日、神保町にてこのような本を手に入れた。
刊行年は大正二年と、手持ちの中でも相当古い。
帝政ドイツが南洋圏の広範を、未だ植民地として確保していた時分の記録。欧州大戦終結後、日本の委任統治下となって以降の書物なら、かねてより結構な冊数を持ってはいるが、この時期のモノは無きに等しい。
俄然興味をそそられた。
で、購入に踏み切った次第であるが――正直に言おう。間が悪い。
この酷暑の中、さんざん痛めつけられた身体を引きずり、更に熱気のメッカたる赤道直下の情報を脳細胞に叩き込むということは、思った以上に気力を要する試みだった。
とてものこと必要量を捻出できない。買うことは買ったが、これは秋まで本棚の肥やしにしておこう。少なくとも他人の手に渡る心配はなくなった。今はそれで満足すべきだ。
目下、私の精神が望んでいるのは、もっと緯度の高い場所――そうだ、北海道の景観にでも癒されよう。
雪は綺麗だ。
心が安らぐ。
実際実地の生活者にしてみれば数多の不便を強いられる、厄介極まりなき代物だろうが。鑑賞者の立場としては、これほど優れたモノはない。
『Ghost of Tsushima』でも、探索していて一番楽しかったのは、雪に覆われたマップ北端――上県の地こそだった。
満目粛条たる銀世界、地上物の一切が覆蔽されたその有り様は、「浄化」の二文字を以ってしか形容しようのないものだ。
こちらはちょっと趣を変え、開拓移民の奮闘姿。
千古斧鉞を加えざる原生林の伐採こそ、北海道を耕す者の何にもさきがけ着手すべき第一だった。
なんといっても札幌さえも、開拓使の置かれた明治二年の段階では「昼なお暗く、野獣の横行に
(昭和初頭の札幌市内)
それを半世紀程度で上の写真の状態まで
まあ、伐ったところで森林鉄道をはじめとする搬出機関がろくすっぽ存在せぬ以上、やむを得ざる側面とてあったわけだが。
(北海道の森林鉄道)
このあたりの機微については、作家の吉田十四雄に於いて詳しい。以下、例の『北海道随筆』から彼の記述を引用すると、
関東平野を通って見ると実に森や林が多い。農家も豊かな屋敷林に囲まれてゐる。あの平野である。この森や林を田畑にしたらと考へる人があるかも知れない。事実戦争中にはさういふ話が真剣に出て、それはとんでもないことだ、そんなことをすれば関東平野は煮焚が出来なくなるし、又風害を防ぐことも出来なくなると説明して、やっとその高官の口を封じたと私はある人から聞いた。(中略)
北海道の農村には木々が少い。五六十年前の北海道はそれこそ木々で埋まってゐた。巨大な逞しい樹林は人々の生存を阻むものであった。北海道の土地を拓き、生きる希望を見出す道は、木々とのたゝかひ以外にはなかった。人々は仇をうつやうな気持で木々を伐って行った。その時の気持がまだ人々の心から去らないのである。(132~133頁)
試される大地と呼ばれるのも納得だ。
(開拓小屋の建設)
試練を乗り越え、そして報酬を手に入れる。挑み打ち克つ人の姿は美しい。我が身の内にも活力が湧く。これでなんとか、夏を乗り切れればよいが。
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