一人前の男になるため、フィジー島ではどうしても、殺人経験を必要とする。
妻を娶り、子をもうけ、円満な家庭を築くため、彼らは殺戮の機会を夢見、そのために日々努力した。
要するに、敵の返り血がそのまま結婚の資格になるわけだ。『ドラゴンクエストⅤ』にも、娘と結婚したければこれこれこういう処から秘された宝を見つけ出して持ってこいとのたまう富豪がいただろう。多少殺伐としているだけで、原理に於いてはアレとほぼほぼ同一である。
危地に踏み入り、闘争をくぐり抜けてこそ、貴重な「何か」が手に入るのだ。
武運つたなく、あるいは性情の惰弱さに甘ったれ、生涯にかけて誰の命も摘んだことのない者は、現世の不遇はもちろんのこと、冥府に於いても卑しめられる。
生前のありとあらゆる行状が詳らかにされ糾される、閻魔の庁の如き施設がフィジー島の霊界にもある。ムリムリアという名前だそうだ。
で、ここに引き出された魂のうち、「生前に敵を殺さなかった者は怠惰として棍棒で打たれ、入墨せぬ女は女の幽霊に追はれて貝で引掻かれる」決まりであった。(昭和十八年、太平洋協会編『ソロモン諸島とその附近』430頁)
アラスカ・インディアン然り、未開人の死後の世界は屡々突飛な様相を呈すが、ここまで奇矯なのも珍しかろう。
ご多分に洩れず、フィジー島にも食人の習慣は存在している。
存在しているどころではなく、メッカとすら言い得よう。発祥を探れば紀元前まで遡り得る、おそろしく年季の入ったシキタリだった。
そのためにのみ使われる特別な皿やフォークがあって、しかも父から子へと代々、家宝として受け継がれたというのであるから戦慄抜きには語れまい。
餌食となるのはやはり大抵、戦の際の捕虜というから、その目的も南洋各所で見られるそれと大差なかろう。
より強く、より大きく、より永く――前回の記事でも述べたことだが、生命体としての機能向上、力への意志を根底とした行為なだけに、彼らの所業はまだ理解の範疇にある。
それともこう思うのは、私の感性がだいぶ麻痺してきた所為か?
まあ、どちらでもいい。
本当にわけがわからないのは、以下の如き事例を言うのだ。
オーストラリアの土人が隣の種族に属する部隊に攻撃されたとする。彼等の中の一人が目の前で殺される。攻撃した人達の身柄を識別するのに疑を挿む余地はあり得ない。それにも拘らず彼等は恰も加害者を知らないかの如く振舞ひ、加害者を発見するために、占ひに頼る。占ひによって、殺人した種族として第三の種族が決定される。彼等はこの種族を攻撃し、其の中の一人を殺し、真の殺人者には手をつけずに置く。(昭和十六年、シャルル・ブロンデル著『未開人の世界・精神病者の世界』31頁)
(オーストラリアの原住民)
自分の両目の機能より、その場に居合わせもしなかった呪術師の舌を信じるのだから堪らない。この人たちの思考回路はどんな調子に組み上げられていたのであろう。
事あるごとに誘拐され、呪術の贄にされるアルビノ、怪しげな護符の力を信じ、猛獣の群れの真っ只中に身を躍らせる若い衆――。
二十一世紀の今日でさえ、アフリカあたりでよくある出来事。近代文明の威光を以っても、この種の椿事を根絶しきれぬ、その
まったくなんということだ。地球は広いとしみじみ思う。私の今年の「読書の秋」はこのようにして、眩暈を伴い更けてゆく。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓