穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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禍津風前後 ―続・世界帝国プレリュード―


 十四世紀、人類はペイルライダーの降臨を見た。


 黒死病の流行である。


 ヨーロッパの天地では、どう控えめに測っても総人口の四分の一が死滅した。

 

 

Apocalypse vasnetsov

Wikipediaより、黙示の四騎士)

 


 イギリスは島国、欧州大陸本土とは地面で繋がってはいない。


 ドーバー海峡で隔てられているというのに、それでも菌はやって来た。


 一三四八年、ドーセットシャーの一港にて確認された症例が、どうも発端であるらしい。


 それが終わりのはじまりだった。港から内陸へ、瞬く間に州全体を汚染して、デボンやサマーセットといった隣接地域も次々堕ちる。


 八月にはブリストルにまで侵入された。


 当局は半狂乱になり、「次に危ない」と推定まれたグロスターなぞ、ブリストルとの交通を全面的に断ってまで防御策を講じたが、結局むなしく、伝染の悪夢に曝されている。


 黙示の騎士は倦むということを知らないらしい。グロスターから更に東を目指して疾走はしり、オックスフォードを跳躍台に、遂にロンドン府内に這入はいった。


 病がどれほど猖獗を極めたかに関しては、翌年四月十日まで議会が停止されたという、この一事のみをとってもわかる。リモートワークなぞ期待するのも愚かな時代、これがいったい如何ばかりまで国家運営を遅滞させたか、洞察するにも余りある。

 

 

 


 英国に於ける黒死病の流行にひとまずの落ち着きが齎されるまで、二年弱。一三五〇年の春に至るまで俟たねばならず、その間築かれた死体の山は膨大どころの騒ぎではない、慄然たる域だった。


 世界の終わり、黙示録の実現を幻視するに相応しい、この大厄災を以ってして、「英国経済史を二分する境界」と看做したがる向きもある。なんといっても疫病の禍風かぜは労働力をもごっそりさらっていってしまった。単純な肉体労働者ですら既にもう、「いくらでも替えの利く」存在ではなく、賃金を騰貴させてでも繋ぎとめるべき必要性を帯びていた。


 賃金が上がれば、物価も上がる。


 結果的に招来されるは、社会格差の是正であった。一般的な生活水準がいや増して、食肉消費もずいぶん増加したらしい。


 ところがこの上昇気流に、なんの因果か、乗りっぱぐれた人々がいる。


 他でもない、農村に棲む百姓たちこそである。

 

 

(イギリス、ラヴェンダーの収穫)

 


 物価騰貴の影響は、どういうわけか農産物に限ってのみは不自然なほど鈍かった。


 消費者の立場からすれば、きっと福音なのだろう。が、農家にとってこれほど迷惑なことはない。


 周囲がステーキに舌鼓を打つ中で、自分たちだけ冷えた麦粥を啜るなぞ、到底我慢がならぬ話だ。耕作者、特に小作人どもは競うように鍬を棄て、農地を離れて都市に流入、労働者たるを志向した。地主は大いに閉口し、土地は肥沃なむかしを忘れていたずらに荒廃しはじめた。


 農村からの人口流出! なんと呪わしい響きであろう。いつの時代、どこの国でも深刻な悩みの種である。


 対策として、十四世紀のイギリスで講じられた手段は三つ。


 第一は比較的人手の少なくて済む、牧羊業に転向すること。くだんの野村兼太郎なぞはこれをして、「英国の羊毛は良質を以て聞えてゐたから、この策は恐らく当を得たものであらう」と評価している。

 

 

スコットランドのとある農場)

 


 第二は小作人に媚態を示す、彼らの賃金を上げてやること。地主のとりぶんがそれだけ減るが、背に腹は代えられないというものだ。効果につき、再度野村の言葉を借りると、「このことは明らかに農業労働者をして、その地位を自覚せしめ、又彼等して生活の向上を望ませるに至った」。婦人ですら、黒死病流行以前は半ペンスで雇えていたのが、一日二ペンス払わなければとても留めておけなくなったそうである。かくて「中世の著者ラングランドなどをして農民の贅沢を嘆ぜしめるに至った」とも。


 第三は第二のおよそ逆、国家の力で人の流れを無理矢理阻んでしまうこと。お上の威光で小作人を土地に固く縛り付け、義務を強制させるのである。


 ある地方からある地方へと移動するには、元々の地方当局に願い出て、許可証を受領しなければ不可能にするなど、例としてまず好適だ。


 和風な言い回しを敢えてするなら、通行手形制度のようなものだろう。


 大きな効果が見込めるが、そのぶん農民の反抗心を煽り立てる危険を孕む。実際問題、そう・・なった。またまた野村にお出まし願うと、「事態の根本に存する思想を理解し得なかった政府は、一三四九年、一三六一年の両条例に次いで一三七七年の法令を出して、領主の強制権を認容した。こゝに於いて彼等の反抗心は一層高められた」


 この反抗心、不平不満の鬱積が、夏の高原の朝靄みたく勝手に溶けて消えてくれるわけがない。耳を聾するけたたましさで炸裂する日がやがて来る。

 

 

ウェールズ地方の女性たち)

 


 疫病の投げた波紋は広く、深刻で、ふち・・に当たって跳ね返り、新たな波紋をまた呼び込みもするものだ。


 そういう連鎖反応を辿ってみるのも面白い。


 世界帝国に至る以前も、到った後も。イギリスはまったく、芳醇である。

 

 

 

 

 


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