明治十年代半ば、自由民権運動は、すっかり時代の「流行り物」と化していた。
大阪あたりの抜け目のない
後年早稲田の門前で「ホラせんべい」というのを売って――言うまでもなく校租大隈重信の大風呂敷を揶揄ったものだ――、まんまと地元の名物になりおおせたのと一般で、商法としてはむしろ王道に近いゆえ。
(viprpg『ライチエクスチェンジ』より)
だがしかし、新生児の命名に「自由太郎」やら「自由吉」やら「自治之助」、挙句は女児にあってまで「お自由」やら「お自治」やら、その種の単語を以てするに至っては、いくらなんでも奇矯すぎ、度を失っているだろう。
土佐高知にて顕著であった
(平成十一年度に於けるマッドハウス制作の美少女格闘アニメーション作品)
だから最初に「流行り物」と書いたのだ。こんな名前を我が子につける両親の、いったいぜんたい何割が「自由」の意味を真に諒解していたか、すこぶる怪しいではないか。
なんといっても「自由」に「リバティ」の意味を与えた張本人、福澤諭吉にしてからが、日々増殖する「民権家」どもの質を危ぶみ、辟易し、
「近頃民権の議論世に流行してより、民権とは威張るの義なりとて、少年にして老成人を凌ぎ、人民にして官吏を侮辱する者なきにあらず。仮令へ或は侮辱までは至らざるも、官民の交際甚だ
因循家と吐き捨てられても不思議ではない、こんな苦言、警鐘を、『時事新報』を通じて鳴らしたほどである。
人心は明らかに均衡を欠き、自由というのを無条件で善きモノと、盲目的に信奉する気質さえ発生しつつあったろう。
(大隈重信像)
自由のために、自由を求めて、自由を然らずんば死を――。
誰も彼もが眼の色変えて追いかける。そいつを口にした者は、気が大きくなり権威に平気で唾を吐く。自由とはつまり、一種の興奮剤なのか。
「正義」と並んで、その効能は頭抜けているに違いない。
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