穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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夢路紀行抄 ―間違い電話―


 夢を見た。


 埒のあかない夢である。


 直前まで何をしていたかは憶えていない。鮮明なのは、携帯がけたたましく鳴り響いてからである。


 着信を知らせる音色であった。


 私は特に発信元の番号を確かめもせず、半ば反射でそれに出る。後から思えば迂闊としか言いようがない。悪徳業者のトラップだったら何とするのか。

 

 

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 果たしてスピーカーから聴こえて来たのは、


「――さん?」


 しわがれて、変に間延びのした、知らぬ老婆の声だった。


 むろん、私の苗字ではない。


(間違い電話か)


 今の時代珍しいなと思いつつ、差し当たり穏当な対応を心がけることにする。


 が、よほどお年を召されているのか。違います、どちら様ですか、と繰り返し答えてやっても一向に頓着する様子がない。通話の相手はただひたすらに、自分の用件のみを述べ立ててくる。


 どこだかの予約が取れたから、十時半ごろに車廻して迎えに来てくれ――要約すればこんなところだ。


(俺にそんなこと言われても)


 ほとんど途方に暮れる感がした。


 いっそ、ここまで話が通じないのであるならば、問答無用で通話を切ってしまえばいい。


 後は発信元の番号を着信拒否にでも処してしまえば、遠からず相手も己の過ちに気付くであろう。


 しかしそこが夢中の沙汰で、当時の私はなんとかして相手の誤解を正さなければとそのことばかりに気を取られ、大汗をかき、他の発想など塵ほどにも浮上せず、豆腐を石畳に叩きつけるような愚挙ばかりを敢えて続けた。


 そうして得られた成果というのが、


「――さん、風邪でもひいたか」


 の一言だというのだから馬鹿げている。


 なんだって夢の中でまで、徒労に苦しまなければならないのだろう。

 

 

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 それ以外にも純狐――『東方紺珠伝』の登場人物――が足利義輝を篭絡しようとしたり、社運を賭けてお化け屋敷に挑んだりと、奇天烈な展開があった筈だが、既に朧になってしまった。


 ただ、あの不吉な声だけが、どういうわけか今も鼓膜にひっついている。

 

 

 

 

 


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