穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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武士の首吊り

 

 1923年4月1日、北白川宮成久王がフランスで不慮の事故に遭い、薨去あそばされるとすかさず現地の新聞は、


「在留日本人の中から、必ず腹を切って殉死する者が現れるだろう」


 と書き立てた。
 当時の外国人が日本人をどんな目付きで眺めていたか、大方察せられる記事である。
 そしてその観測は、あながち間違っているとも言い切れまい。日本人の民族性に「切腹」が深く関わっているのは争い得ぬ事実であろう。『往生要集』には、


 ――臨終の一念は百年の業にすぐれたり。


 との一節がある。
 恥多き人生を送っていようが死に様さえ颯々として見事なものであったなら、その人の全生涯がいっぺんに高尚なものへと昇華されてしまう現象は、日本史上数限りなく繰り返されてきた光景だ。
 反対に、生前如何に善事徳行を積み重ねてきた君子であろうと、いざ死に臨んだ際、みっともなく取り乱して醜態を晒しながら息絶えた場合、なんだか彼の遺した功績総てが途端に白けて見えてしまい、敢えて偲ぶものとていなくなる。これまたよくある事である。


 だから武士は、己の最期を美しく飾り立てんとすることに病的なほど執着していた。

 

 

Seppuku-2

 

 

 切腹はみずからの勇気と覚悟と潔さを表現する窮極の形式に他ならず、名誉が試される瞬間であり、翻っていうならば、いざという時すぱっと綺麗に腹を切れることこそ、武士を武士たらしめる所以でさえあったろう。


 俺はお前達とは違うのだ、と。


 農工商階級に向かって堂々胸を張れるこの「特権」を腐らせないよう、彼らは物心ついたばかりの頃からその作法を入念に叩き込まれて成長した。幕末、戊辰戦争に於ける二本松藩にあっては、12歳の少年でさえ十全に腹を切れたことは、以前の記事で明らかにした通りだ。


 ところがなんにでも例外は付き物とみえ、腹を二つにするのではなく、梁からぶら下がることで人生の幕を下ろした武士も、江戸時代には確かに存在したようである。


 こうした死に方は、むろん感心されなかった。


 元文年間に出雲の鵜飼うかい半左衛門平矩ひらのりという人物が著した『武備睫毛ぶびまつげ』なる書物に、そのあたりの消息が詳しく記載されている。

 

 


『武備睫毛』には一巻から四巻までがあるのだが、該当箇所は四巻、「切腹仕時之心得」という、あまりにも直截な題名の章の中である。この章の中で平矩は、


 …治承の頃、頼政宇治にて切腹あり。そのころ伊豆の伊東九郎も腹切りたり。これ等も初めて腹切りしとはいへず、それより前手本となりたる人も有りしなるべし。平家西海の敗戦にも皆入水のみにて腹切りし人はきかず、さればこそ宗盛父子重衡なども鎌倉へ渡られ末代までのはじは残したまひけれ。…


 と、切腹の輪郭をなぞりながら話を進め、


 …然るに百年以来古の聖代にも勝りたる泰平の御代となり、武士のたけき心も大にゆるみて、かかること吟味すべき心付もなく、歌舞伎役者の出立いでたちたる様なるをよき風俗と心得て武義の実なき事にはなりくだりたり、…


 永きに亘る平和によって武士の心に惰気が生じ、その品質・・が劣化すること甚だしいと憤慨している。
 このあたり、『葉隠』の論調に似ていなくもない。
 その劣化ぶりを如実に示す、謂わば見本として平矩が取り上げたのが、「武士の首吊り」だったのだ。


 …ある所にてその先祖は名を得たる武功の家筋、本家は今も高禄を取り、その分家にて小知を取りしもの、一族は皆歴々なりし。如何の故にや自滅したりしに首を縊りたりけり、…


 先祖が戦場で大働きに働いてくれたお蔭で、百年後の子孫までもが高禄を食み、もれなく栄職にも就ける地位。
 そんな「華麗なる一族」の分家筋のある者が、どういうわけかひどく窮迫する破目になり、もはやこれまでと首をくくってしまった。


 庶民の家にはざらにある、この展開はしかし武士にだけは赦されぬものだ。

 

 死ぬなら死ぬで、なにゆえ腹を掻っ捌かない。死に際を汚した、その所為で、妻子どころか本家までもが大迷惑を蒙る様子が続く文章に示されている。


 …その本家ならびに一族なども人に面を合すべき様なくて、身をかみけれどももどらず。およそ生死の覚悟に至ては氏姓にも系図にもよるべからず、只面々の方寸にありて他を借るべきにあらず、それをうかと心得て修行の心付もなき者は何時も右の如く見苦しき死をなして町人百姓迄も聞くものあさましきや腹をだに切得ぬ侍がしたたかの知行を取て居けるなどと、口ずさむにかかる事にはなる也。


 世間に合わす顔もなく、臍を噛もうが後の祭りでどうにもならない。それもこれも、平素の修行を怠ったせいだ。生死は人間の大事、そこに関わる決断を下す際には名前も称号もぜんぜん物の役には立たず、ただ練られた胆だけが唯一頼みの綱である。
 そのあたりを迂闊にも軽視した結果がこのざまだ。見苦しいと町人百姓階級からさえ呆れられ、一族郎党悉く、よってたかって侮蔑の視線を注がれて、


「あれでもさむらいと言えるのかね。腹ひとつ碌に切れない輩が、よくまあ平気で二本差して昼の日中の大通りを闊歩できるもんじゃあないか。俺なら恥ずかしくてとてもとても」


 手酷い嘲笑を浴びせられても黙って耐え忍ぶ以外にないという、世にもみじめな境遇へと転落する。
 だから若人たちよ、「歌舞伎役者の出立たる様なるをよき風俗と心得」るような勘違いに走ることなく、武士としてあるべき修養を身に着けたまえよ――と、鵜飼平矩の訴えたいのは概ねこんなところだろう。
 実際『武備睫毛』には「切腹仕時之心得」以外にも、


「供奉之時変有之心得」
「自分他行之節変有之心得」
「変死有之時検使可勤心得」
介錯可仕心得」


 などなど武士として必須欠くべからざるたしなみが、かなり広範かつ詳細に記載されている。これを通読すれば、それなりの成果は見込めたろう。


 個人的には何処かの出版社が翻訳して復刊してくれないかと望んでやまない、それほどまでの良書である。


 現状、『葉隠』が人生読本としてこれだけ持て囃されているのだから、同じく武士の頽廃に警鐘を鳴らし、あるべき姿を示した『武備睫毛』が受け容れられないはずがない。そう信じるが、さてどうか。
 いずれにせよ、このまま埋もれさせるにはあまりに惜しい。またいずれ、折を見て内容を紹介したいと思う。

 

 

葉隠入門 (新潮文庫)

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