中世ヨーロッパの動物裁判を彷彿とさせるニュースが南米ブラジルから飛び込んできた。麻薬密売者が検挙された際、彼らに飼われていたオウムまでもがいっしょくたにしょっぴかれていったと云うのだ。
なんでも詳しく聞けばこのオウム、あらかじめそのように訓練されていたらしく、パトカーが密売者の住居に接近するなり
「ママ、警察だ!」
と鋭く叫び、主人に危機を報せたという。
個人的にはどう条件付けすればオウムにこのようなことが可能になるのか、「訓練」の内容にひどく興味があるのだが、よしんば聞き出せたところでブラジル当局は発表してくれないだろう。
とまれ、オウムの忠直なる献身もむなしく、密売者たちは結局逮捕。逃走を幇助した
この鳥公、更に見上げたことには、逮捕後警官たちの前で片言半句も発することなくひたすら黙秘を貫いているというのだから、いよいよ以って天晴れなる忠義者よ見事なりと称賛してやるべきだろう。
それにしても、いい歳をした警官たちが真面目ぶったつらつきでオウムを尋問している光景を想像すると、その滑稽さはやはり中世欧州で行われていた動物裁判を連想せずにはいられない。
左様、動物裁判。
読んで字の如く、人間に対して危害を加えた動物を態々法廷に召喚し、裁判を行い、然る後に刑罰を宣告するものである。
被告たる動物にはきちんと弁護士が付けられて、原告側と盛んに意見を闘わせるなど、あくまで「裁判」の形式に則って厳粛に事は進められた。
が、もし被告が何と訊問されても一向口を開かぬ場合はときに拷問が用いられ、それによって唸り声を発そうものならたちまち
――それ、罪を告白したぞ。
と認められていたという。
およそ限りなく馬鹿げていて、理性を備えた人間が正気でやる行為とは到底思えないのだが、当時にあってこのような「正論」を唱えることは屡々命の危険と隣り合わせですらあった。
1699年、フランスのオーベルニュで行われた「青虫裁判」がその恰好の例となろう。
この年同地方に大量発生した青虫のために植物という植物は食い荒らされ、とても農作物の収穫は絶望的だと看做された。この事態にオーベルニュの地方議会は緊急動議を行って、そこまではよかったのだが、結果害虫の裁判を行うべく高等法院に訴えたところが如何にも暗黒時代的だった。
訴えを受理した高等法院はとりあえず、青虫に対して財産侵害の容疑ありと召喚状を発したが、いつまで待とうが青虫が出頭するはずがない。
そこで先例にしたがって、弁護士が青虫に面会し、彼らから事情をよく聞き取って代理人たるの資格を得、公判の場で大いに青虫弁護論を述べ立てたものの、果敢無くも力及ばず、司法はついに有罪を下した。
判決は死刑。何月何日何処の地で処刑が行われるか決せられ、その旨を印刷したビラがオーベルニュのあちこちに振り撒かれた。
が、厚顔無恥なる青虫は――なんだか書いてて段々楽しくなってきた――またしてもこの出頭命令に従わず、それどころか法を侮辱するかの如く白昼堂々地にある限りの植物を、それこそ畑のものも野のものも選ぶところなく貪り続けていたために、ついに慈悲深き国王陛下も激怒して、青虫めの無差別殺戮を許可するに至ったそうな。
ちなみにこの間、例えば青虫の事情聴取に大汗かいて駈け回っている弁護士の姿をなんだあれアと嘲笑したり、お上の打つ手は遅すぎる、なんで虫ケラ相手に裁判せにゃあならんのだ、とっとと駆除すればいいんだよ駆除すれば、と、極めて悪質な差別的発言を行った
動物裁判はキリスト教文化の影響による産物だと俗に云う。
こんなことばかりしているからいざ革命が起きた際、無神論が高唱されてあれほど猖獗を極めたのではあるまいか。
『鳥獣戯画』を描いて猿の僧侶に蛙の本尊を拝ませていた我が日本国の国情は、まことに幸福だったといわねばならない。
そうだ、いっそのこと動物裁判にしたって、被告も原告も裁判官もみな動物で構成していたならよかった。どうせ端から無理筋なのは変わらないのだ、ならば一思いにそうしておけば、まだしもその弊を抑えられたやもしれぬのに、いやはや残念至極なことだ。
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