私が古書蒐集癖に目覚めたのは、忘れもしない、大学生の頃である。
私の専攻は日本史で、その日はレポート作成の史料を求めて大学図書館の書庫に入った。
あの沈殿した空気、心地のよい狭苦しさ、今でもはっきり思い出せる。光量の乏しさと人気なきゆえの静けさとが
私も男だ。少年時代には秘密基地に憧れた経験もある。眼前の光景に、浪漫を掻き立てられずにはいられなかった。
本来の用向きを後回しにして暫く探索していると、背表紙のすっかり黄ばんだ、特に古ぼけた書籍ばかりが集められている場所に出合った。そこで何の気なしに指をひっかけ棚から引っ張り出したのが、原田指月著『死線に立ちて』。
戦前の、所謂戦記物である。著者は実際に日露戦争に従軍した経験を持つ、言ってしまえば「本物」だ。
当時の私はそんな事情などむろん知らない。
知らないが、冒頭の序文を読んだだけで既に
難を排して国家の隆興を期し得られる要訣は、「全力」より外はない、全力とは身心のあらん限りを尽して国家の為めに致すのである、(中略)出来る丈け長く生き延びて出来る丈け沢山の敵を殺すこと、これが今後の全力である
なんという――
なんという真っ当なことを言うのであろうか。
昔も今も、前線に立つ兵士の心得としてこれより完全なものを私は知らない。
そりゃあそうだ、現代日本はこうした言説を許さぬ社会。公の場でこんな論を吐こうものなら白眼視は必定、下手をせずとも「軍靴の音」だの「極右」だの「歴史修正主義者」だのと罵られ、人殺し以下の屑として弾劾されるに違いない。
戦前なればこそ、大日本帝国なればこそ、こうした文も書けたのだ。
そう思った瞬間、私は突然、自分がとんでもなく巨大な金脈の上に立っていることに気が付いた。
既に課題など思慮の外、遥か吹き飛んで影も形もなくなっている。
近場の本の奥付を片っ端から調べてみると、予想通り、どれもこれも昭和二十年以前の日付。仲には「大正」の二文字さえあり、私の随喜は果てしもなかった。
これは後から知ったのだが、私の通っていた大学は、師範学校に端を発するそれなりに由緒のあるところで、幸運にも当時の蔵書が戦火に焼かれることもなく、無事生き永らえて保管され続けていたらしい。
それからというもの私は足繁く書庫に通い、むさぼるように古書を漁った。
古文書読解を散々やらされたお陰で、旧字体や異体字などは問題にならない。この点、日本史を専攻していて本当に良かったと今でも思う。
でなくばあの読書速度はあり得なかったに違いない。で、あまり頻繁に出入りするものだから、とうとうカウンターの職員の人に記憶され、何も言わずとも近付くだけで書庫に入るための手続きを始めてくれるまでなった。
あれからずいぶん経つが、古書への情熱は未だに翳りをみせていない。
たぶん、生きている限り続くのだろう。
ちなみにその切っ掛けたる原田指月の『死線に立つ』は、その後神保町にて発見、一議もなく購入して我が本棚に列せしめている。
お値段、たったの五百円。これ以外にも神保町では書庫に在った本を多数見かけた。
まこと、神保町こそ私にとっての聖地である。
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