穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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ドイツとエビオス ―代用食を振り返る―


 人類最初の世界大戦、酣なる時分のはなし。


 英国下層の労働者らが雑穀入りの黒パンに、まずいまずいと不平不満をこぼしている一方で。


 帝政ドイツは鮮血を代用パンの生地に練り込み、まずいどころの騒ぎではない、ある種ゲテモノを開発し、心ならずも人のみかくの限界を試すような真似をしていた。


 前回に引き続き、右田正男の伝えるところだ。

 

 

ドイツ国会議事堂)

 


 山科礼蔵と同じく、食糧の価値を「戦略物資」と位置付けていた彼である。

 

 その観点の形成に、第一次世界大戦当時のドイツ銃後の惨状が寄与したことは疑いがない。実際右田が世に著した『水産と化学』を開いてみると、

 


…前欧州大戦に於てドイツの敗れたのは、食糧の窮乏につけこまれた謀略のためであったことはあまりにも有名な話である。一九一五年から一九一七年に亙るドイツの食糧事情は実に暗澹たるものであった。

 


 こういう一文が発見できる。


 更に続いて右田正男は「暗澹たる」食糧事情を詳らかにするために、冷厳な数字の引用に及ぶ。


 彼の調べたところによると「一般国民の食物の量は戦前の三割、合理的必要量の半分」にまで低下しており、就中、最も不足の激甚だった肉類なぞは「戦前の一割から一割五分にまで減」ずるというみすぼらしさを呈しきっていたそうな。


 想像するだにぞっとする。なんたるわびしき食卓だろう。そりゃあ赤子の指の先から爪が消えるわけである。木の根を齧り野草を摘めば、最悪、まあ、辛うじて、デンプン質は補えなくもないのだが、タンパク質はどうにもならない。身体の維持が不可能になる。どうにもならない命題を、それでもどうにかするために、彼らは血液まで混ぜたのだ。

 

 

 


 窮余の一策といっていい。


 しかしあくまで時間稼ぎだ。抜本的な局面打破にはどうしても、より安価でより美味く、しかも大量生産に適当な代用タンパク食の開発こそが急務とされた。


 言うまでもなく、夢物語だ。そんなご都合主義的な物資のアテがあるのなら、誰も最初から苦労はしない。地上はとっくに飢餓問題と縁を切り、ユートピア前奏曲が厳かに響き渡っていただろう。


 しかし流石、ドイツの科学は優秀である。叡智の限りを尽くした結果、ややそれに近い品を得た。すなわち、「ビール醸造の際の廃物である酵母が肥満牛肉の三倍以上も栄養価のあることを発見した」のだ。


 この説明文を一瞥するなり、私の思慮を雷霆の如く駆け巡ったものがある。


 つまりは、


 ――エビオスじゃねえか!


 との驚きである。

 

 

 


 現代日本人ならば、ほとんど誰もが知るだろう。きっと一度は目にした覚えがあるはずだ。アサヒグループ食品会社、珠玉の名作。ついこのあいだ、令和二年に発売九十周年を経た、くすんだ色の、あの錠剤を――。


『水産と化学』は昭和十九年の刊。エビオスは既に発売済みだが、右田が触れた形跡はない。いささか残念に思いつつ、内容を更に追ってみる。


 ドイツ科学者の手によって、味の改良は割合容易に進んだらしい。問題はむしろ、大量生産の方だった。戦時下で大麦は貴重である。その貴重品の大麦を、さまで必須ともいえぬビールのために無制限には割り振れぬ。どうにかして醸造に依らず、酵母のみを盛大に蕃殖させるはないか。


 あった。


 見つけた。


 ゲルマン魂は不撓不屈であるらしい。常軌を逸した粘り強い探求の果て、遂に答えにたどり着く。


 まさに喝采に値する、感動的なその情景を、右田正男は以下の如く描写した。

 


…種々研究の結果、今まで肥料とされてゐたグアノ(海鳥の糞の固まって出来たものでアンモニアと燐酸分に富んでゐる。南洋には全島これを以て埋れてゐるところもある)を栄養分として酵母を人工的に培養し、以後これを貴重な蛋白食品とするやうになった。

 

 

Guano

Wikipediaより、グアノ。別名「糞化石」とも)

 


 思わず涙を禁じ得ぬ。


 ここまでしても人間は闘い続けられるのか。勝利を志向できるのか。


 ドイツ人とはまったく以って尋常ならざる民族だ。


 なお、アサヒグループ食品のホームページを窺う限り、エビオス錠の製造過程にグアノの影はほんの少しも見当たらぬこと、一応附言しておこう。

 

 

 

 

 


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五六〇万トンの行方 ―昭和十年、漁獲量―

 

 興味深いデータを見つけた。


 戦前、すなわち大日本帝国時代の水産業まつわるものだ。


 昭和十年、全国的な漁獲量の総計は、ざっと五六〇万トンに達したという。


 ちなみに最近、平成三十年度に於いては四四二万トン。技術の進歩、養殖の拡大、多くの規制、人手不足に高齢化、台湾・朝鮮・北方領土を失ったこと――諸余の事情を考慮して、おおむね妥当な推移なのではなかろうか。

 

 

(戦前、北海道、鰊の豊漁)

 


 しかし、さりとて、むかし・・・いま・・とで決定的に異なる点がひとつある。


 食用・非食用の割合だ。


 昭和十年段階で食用に供せられたのは総漁獲量のおよそ六割。残すところの四割は、主に魚粉や〆粕として畑の肥やしに使われた。ことイワシに至っては、二七〇万トンの漁獲量中、食卓に上せられたのはたったの二割。八割方が圧搾機に直行という、凄まじい偏りを呈したものだ。


「俺たちだって、べつにしたくてこんな風にしているわけじゃないんだよ」


 と、先人は言う。


「これが最善の利用法とは思っちゃいない。当たり前さね、皇国すめらみくにに不足しがちな大事な蛋白給源だ、なろうものなら食用化の徹底を図りたいとも。だが、水産物――魚介類というヤツは、どうしても陸産物と異なって、捕る時期や量を加減できない。おまけに極めて腐りやすい性質がある。『サバの生き腐れ』は伊達じゃないんだ」


 語り手の名は右田正男


 こと筆者わたしの知る範囲内にて、寒天の製法を最も詩的に描写してのけた人物である。
 曰く、

 


 テングサ、ヒラクサを母として生れた「ところてん」は、天然の寒冷に育くまれて「かんてん」となる。
 凩や氷雨は峰に遮られ、白雪の褥に静かに冷える山の懐こそ「かんてん」の故郷である。

 


 と。


 この一文が契機となって、彼の著作に手をつけだした。

 

 

(右田正男謹製、昭和十年、漁獲量図解)

 

(上の図中、「食用製造物」の内訳)

 


 右田は述べる、魚の冷凍保存というのは、この昭和十年段階に於いても技術として存在自体はするのだと。


「だが、高額たかい」


 なにぶん世に出て間もないゆえに、低廉化が進んでいない。


 日本全国津々浦々に必要設備を据え置くなんぞ夢のまた夢、よしんばそれ・・が導入されてる港湾だろうと、優先的に処理されるのはタイやマグロの高級魚。ニシンやイワシの安魚なぞ後回し――どころではない。「かかる経費に見合わない」との理由から、仮にどれだけ余裕があっても到底処理してもらえない。イワシ一匹を販売して得る利益より、イワシ一匹を冷凍するコストの方がより重い。だからやらない、まことにお寒い現実だった。


 結局万事カネである。そろばん勘定の一致こそ、すべてに優先されるのである。わかりやすくていいではないか。収支の釣り合いが取れない内は、ニシンやイワシがいくら大漁だろうとも、「塩漬にしたり、干物にしたりして出来るだけ食糧とするやうにし、その残りは〆粕にして腐敗を防ぐといふのが定石」なのだ。その光景が、たとえどれほど「有志」らの、もったいない精神を疼かせようと。

 

 

(戦前、樺太、鰊粕製造所)

 


 人類が天賦の智能をいよいよ発揮し万物の長となる基の出来たのは、おそらく食物を保存することを覚え、その日の食を漁るために全力を注ぐ必要がなくなってからのことであらう。こんな古い古い大昔のことをいはずとも、食糧保存の重要なことは今に於てなほ変わらない。変らぬどころか、二十億の人類が数十に分れて各々国家を作り、互に虎視眈々とし、又国内に於ては都市のやうな比較的狭い地域に人間が密集してゐる今日にあっては、食糧の保存は愈々重大な意義を持ってゐるのである。原始時代には食糧の保存は人類が他の動物に勝つに役立った。現代に於ては国家の安寧秩序を保つために必要となったのである。(昭和十九年『水産と化学』)

 


 右田正男の文章は、やはりつくづく読み応えがある、名文である。理学博士でありながら文筆家としても一流だ。稀有な資質といっていい。彼は独自の哲学を持ち、そこから湧き上がる信念に身を貫かせた漢であった。


 かかる信念に基いて、より効率的な食糧保存の方法を右田は模索し続けた。


 それがどの程度まで実を結んだか。興味は尽きない。私はまだまだ、趣味に飽かずに済みそうである。

 

 

 

 

 


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気負い立つ明治


 気宇壮大は明治人の特徴である。


 新興国らしさ・・・とでも観るべきか。


 乃公出でずんば蒼生を如何せん、俺こそこの先、日本を担う漢なりとの熱血が、国土に遍く漲っていた。


 こういう例がある。


 二十年代半ばごろ、さる地方都市の一学校を特に選んで、


 ――将来の夢はなんですか。


 そういう趣旨のアンケートが執り行われた。


 現代に於いても入学式にかこつけて、よくやっているアレである。

 

 

 


 結果は実に六割方が、


「政府の大臣になりたし」


 との答えを返したそうだ。


 これを受け、福澤諭吉先生などは芟除すべき「封建の遺風」がまだこんなにも残っていたかと瞠目し、「人生の功名富貴は至る処に求むべし、政府の地位羨むに足らず」――もっと民間事業に目を向けろとの言説を逞しくしたものだった。


 第二の岩崎、渋沢、大倉――「大商人」を志向する青少年よ、更に増えよ、どんどん増えよ、増えて増えて比率に於いて大臣派を圧倒せよということだろう。


 もっとも私の感想は違う。


 明治という時代はなんと、上昇志向の横溢しきった世の中か――と、心底舌を巻かされる。


 責任ある立場になぞ、頼まれても登りたくない。


 ひと財産築いたあとは、とっとと表舞台を退いて、安穏と余生を過ごしたい。そんな思潮が主流となったここ最近の日本を見たら、先人たちはきっと唖然とするだろう。

 

 

Eiichi Shibusawa samurai

Wikipediaより、幕臣時代の渋沢栄一

 


 意気の沈滞、牙の、野心の消失は、爛熟を迎えた文明がほぼ不可避的にぶち当たるべき障碍である。平和ボケと言い換えるのもあるいは可か。この件に就いてはラルフ・ワルド・エマーソンも、

 


 麦酒に漬り、肉食に飽満した者は耳も遠くなり、眼もかすんでくる。かかる人々の鈍りきった精神は戦争と貿易と政治と迫害とによって鞭撻される必要がある。かかる人々は邪教徒を火刑にする薪の炎、都を焚く兵火に曝されなければ、一つの主義をも明かに読むことが出来ぬ。

 


 と、「コンコードの聖人」渾名におよそ似つかわしくもない、過激な言辞を敢えて弄したものだった。


 それだけ深刻な問題ということである。


 さて、幸福にもそんな悩みを未だ知らぬ、明治二十三年の日本――。


 第一回帝国議会の開催を間近に控えたとある日に、東京日日新聞が掲げた記事こそ面白い。時代精神の反映として、これ以上ない出来である。

 曰く、

 


 我帝国議会の創始は実に独り内に向って重大なるのみならざるなり、東洋に未曾有なる立憲政体の成否は如何、結果如何は実に世界各国の識者が刮目して之を観んとする所なり。
「代議政治は白皙人種の特有物なり、東洋人は代議政治を行ふの性質を備へず」とは彼れ欧人が常に其の口にする所なり、今我東洋の一帝国たる我日本は立憲の政体を建て代議の政治を行はんとす、其結果如何は実に世界に向って至大の影響を与ふるものなり。
 若し其結果誠に善美にして平和正当真に代議政治の実を挙ぐるあらば我国光を発揚し我国威を拡張する事豈少なからんや。然れども若し其結果にして不良ならんか彼等は将に手を拍て言ふ可し、「果せるかな東洋人は代議政治を行ふの性質を具備せず」と、豈国家の恥辱ならずや抑々我東洋の人種の恥辱たるなり。

 

 

Tokyo Nichi Nichi Shimbun Company Building

Wikipediaより、東京日日新聞社屋)

 


 国会開設は単に日本の国内問題に止まらない。


 東洋人の未来さえ占う、人種差別への挑戦であり、世界史的な現象であると、そのように話を拡げている。


 責任重大、決して失敗するわけにはいかないと。


 なんと若々しい気負い立ち、そうそうこう・・でなければと、大声で喝采したくなる。


 まあ、その誉ある第一回帝国議会を開催した議事堂は、それから半年も経たぬうち――明治二十四年一月二十日に突如炎上、巨大な廃墟と化す運命にあるのだが。


 悲愴というか、滑稽というか。

 

 

(第一回帝国議会図)

 

 

 やがて燃え残った柱材が幾点か、競売にかけられる運びとなって、けっこうな額で落札されたそうである。


 世に好事家は絶えないものだ。


 火事の翌日にはもう既に、鹿鳴館貴族院に、元工部大学校を衆議院に、それぞれ代用として宛てること、早くも決せられている。

 

 

 

 

 


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郷愁触媒、過去への巡礼


 片付けられない餓鬼だった。


「一枚のCDを聞き終わったらキチッとケースにしまってから次のCDを聞く」タイプではなかったのである、少年の日のこのおれは――。


 だからいま臍を噛んでいる。


 正月、実家に帰省した際、抽斗という抽斗をいちいちひっくり返す勢いで、かつて遊んだゲームを探した。

 

 

 


 どうも世間の一角にレトロゲーム珍重のがあるらしい。氾濫する3DCGに食傷しきった精神がドット絵の素朴を求めだしたか? ポリコレだのフェミニズムだの、外野の声のやかましくない、定型テンプレ以前の独創的な展開ないし世界観に惹かれたか? まあいい、理由の詮索は別にいい。とまれこいつは、ちょっとした小遣い稼ぎになりそうだ。

 

 そういう期待――下心と換言しても構わない――に背を押されての「家探し」だった。


 ゲームが出てきた。

 

 

 


 しかし多分に、ソフトだけが、だ。

 

 

 


 外箱にせよ説明書にせよ、附属品は悉皆まるっと散逸していて影もない。


 これでは売れない。


 売っぱらっても買取価格はダダ下がり、二束三文が関の山、透かし見るように明らかである。


 それならまだ手元に置いて、ノスタルジックの材料にでもしていた方が有益だ。セピア色の世界の中でせわしなくボタンを操作する、あの頃の俺に怒鳴りつけたい、「整理整頓はちゃんとしろ」。ああ、これが慙愧の念というヤツか。

 

 

 


 探索ついで、このようなモノに触れもした。


『STAMP ALBUM』――切手のコレクションである。

 

 

 


 収められている品は、1960年代が主流のようだ。

 

 

 


 64年東海道新幹線開通記念を皮切りに、

 

 

 


 姫路城修理完成記念、

 

 

 

 

 第21回国民体育大会記念、

 

 

 


 明治百年記念、

 

 

 


 小笠原諸島復帰記念、

 

 

 


 原子力船進水記念、

 

 

 


 東名高速完成記念、

 

 

 


 他にも他にも――時代の動きの激しさを実感させる断面図に満ちている。


 訊いてみると、どうやら父の情熱の名残りだそうな。


 蒐集癖も或いは遺伝するのだろうか。自分のルーツを確認するのは、なんにせよ悪い心地ではない。

 

 

 

 

 


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鐵の徒花


 角銭こそは天明の飢饉の遺子である。


 人心も、治安も、経済も――あの空前の凶作以来、すべてが堕ちた。


 東北地方、特に津軽のあたりでは、野良着姿の百姓までが、蔬菜の出来を語るのと何も変わらぬ顔つきで、


「老人の肉、死人の肉は不味くてかなわん。ぱさぱさしていて味がない。ちっとも力がつく気がしない」
「喰うならやはり、女子供か。味が濃くて柔らかだ」


 カニバリズムの品評を交換し合ったほどである。


 こういう異常な体験は、もちろん長く尾を引いた。

 

 

 


 どころではない。経験者の精神を永遠に、不可逆的に変質させたといっていい。


 既に人肉喰いという、最大の禁忌に触れている。


「いまさら盗も付け火も殺人も、などて憚るべきやある」


 奇妙な心理作用だが、それが生存者達にとり、一種免罪符的な効果を発揮したらしい。どうせ救われないのなら、先途は地獄と決定済みであるのなら、地上に於ける悪業という悪業を極め尽くして逝くべきだ。さもなきゃあ、なにやらひどく損をする、間尺に合わない感がする。


 無敵の人の心理に近い。


 かくて東北の山野には追い剥ぎ・強盗・殺人嗜好の破落戸どもが跳梁し、ここを通る旅人に極度の緊張を与え続けた。


 橘南渓の『東遊記』にも、

 


…その時、人を食ふ事だにも常の事に成り、老人の肉、死人の肉は味なし、婦人、小児の肉はやわらかにしてうまし抔、皆食ひ覚へて評する事になれり。是に付て、人を殺す事、家を焼事抔もたやすき事に覚へ、況や人の物を奪ひ掠むる事は誰恥る者もなくなれば、其余風今に残り、盗賊の沙汰のみ多くて、余抔が通行も安き心なかりし。

 


 鬼気というか、妖気というか、名状しがたく不穏・不快な雰囲気がまざまざと書き記されている。

 

 

 


 どこから手を着ければよいのかさえもわからぬ惨状。


 だからといって本当に口を開いて突っ立ったままの姿では、為政者たるの甲斐がない。


 復興に向け、仙台藩が動きはじめた。めためたになった懐事情の立て直しを図るべく、思いきった策に出る。独自貨幣の鋳造を幕府に願い、許可を得たのだ。


「五ヶ年期限」「流通は領内に限ること」等々の但し書きはつくものの、兎にも角にも仙台藩はカネをつくってくなった。


 せっかく握った権限である、活用せねば嘘だろう。


 というわけで彼らは大いにやった。「仙臺通寳」の四字を刻んだ新貨幣、角を丸めた四角形という外見的特徴から専ら「角銭」と通称される物体を、造って造って造りまくった。

 

 

Sendaitsuho

Wikipediaより、仙臺通寳)

 


 このあたりでもう一度、橘南渓の筆を借りよう。


 京の都を幾千里、山河を踏み越え遥々と、白河関のずっと奥、仙台平野にこの医師殿の草鞋の跡がついた際。奇しくも彼の地の事情にあっては、「国中に角銭みちみちて」――仙臺通寳の流通、酣なる時期だった。


 南渓もまた、様々な用に弁ずべく、さっそく手持ちのいくらかを角銭に変えたものである。


 が、すぐに後悔した。


 理由は大別して二つ。


 一つ目はごく単純に、角銭の質が悪いこと。

 

「此角銭甚悪敷あしき鉄にて、破砕くる事石瓦も同じ様也」――「財布に入れただけで壊れる」「百文を支払っているうちに、二~三文は駄目になる」と方々で批判されるほど、角銭の壊れやすさときたら折り紙つきなものだった。


 耐久性の低劣は、勢い貨幣それ自体の信頼性の低下へと波及せずにはいられない。


 橘南渓の見ている前で、角銭の価値はどんどん下がった。


「初には金壱歩に角銭二貫三百文を買いしに、毎日銭相場下りて、後には二貫七百、八百、九百にも及べり」――これが二つ目、自由落下もかくやとばかりの、急速な値下がりぶりである。


「この調子だと、一ヶ月後には四貫のラインを割ってしまうのではないか」


 半ば本気で、南渓は予測したものだ。


 銭相場の変動に合わせて、あらゆるすべてが騰貴した。


 従来四~五文だった草鞋は十六~七文、下手をすれば二十文を放り出してやっと購う域であり、かつて一泊百二十文を謳った旅籠は三百五十文払わなくば床を貸さぬと言い張った。


 全体的に三倍程度の値上がりである。「替らざるものは宿継人馬の賃銭のみ公儀の御定の通り也。此故に宿々の困窮も亦甚し」――なんだか『東遊記』の記述が段々と、社会実験の報告書に見えてくる。

 

 

大手門

Wikipediaより、仙台城大手門)

 


「仙台侯はなんだって、態々こんな粗雑な銭を鋳ったのか」


 橘南渓は首をかしげた。


「わしならきっとをする」


 すなわち寛永通寳よりも――世間一般に流通している「丸銭」よりも質のいいを作製し、衆の輿望を掻き集め、以って流通の拡大を待つ。ごく穏当な常識論を述べている。


 もっとも南渓の本領は医術であって経済ではない。


 理論と実際の食い違いは世の常だ。経済学の分野に於いて、その弊は特に甚だしい。素人玄人のべつなく、立てた予測は片っ端から踏み躙られる。常識など時として、一文の価値も持たぬばかりか逆に負債のタネになる。


 橘南渓の聡明さは、どうやらそのあたりの呼吸をもなんとなく察していた点だ。

 

 

Kaneitsuho

Wikipediaより、寛永通宝

 

 

「わしならこうする」のすぐ後に、「さりとて所詮こんなのは、素人の机上の空論だから」と予防線を張っている。


「畢竟是は机上の論なれば、直に政を取る人の上にては、かくのごとくならざれば 不叶かなはざる道理も有にや」――一国の政治を左右するお歴々ともあろう頭脳が、この程度の考えに逢着してないはずがない。きっと自分のような門外漢には片鱗さえも掴めない、なにか深遠な計算が働いてるに違いない。意訳するならこんな具合いか。みごとな韜晦の手腕であった。


「灰色」こそが安全地帯だ。迂闊に白黒決してしまうと馬鹿を見る。趨勢に確信が持てるまで、自己の意見は適当に煙らせておくがよい。

 

 

 

 

 


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選挙戦夜話


 第八回衆議院議員総選挙の中で生まれた小話こばなしだ。


 時は明治三十六年有権者への戸別訪問を禁じる法は未だ存在していない。


 ごく当然のなりゆきとして、候補に立った誰も彼もがそれ・・を戦略に取り入れた。直接国税十円以上、満二十五歳以上の男子に対してのみ選挙権が附与されていたかの時代。やろうと思えば選挙区内の全有権者を訪問するのも不可能ではなかっただろう。一度きりに止まらず、二度三度と繰り返し行うことすら、おそらくは。

 

 

 


 なんとも熱心で結構なことだが、有権者の身に立ってみればどうだろう。それも政治に関心の薄い、現代式のノンポリ的な有権者にしてみれば――。


 毎日毎日、けたたましく鳴る呼び鈴に、まったく興味の持てないことを熱心に語る客への応対、煩雑さ。神経をささくれ立たせる度合いときたら、選挙カーなぞの比ではあるまい。


 ――いい加減にしてくれ。


 と、内心密かに悲鳴を上げたのではないか。


 岡山に棲む某なる有権者は、まさにそうした典型だった。堪忍袋の緒を切ったとさえいっていい。彼はもはやこれ以上、選挙の「せ」の字を聞くのも厭で、憤然筆を取り上げるなり、

 

候補者、運動員入るべからず


 黒々大書、その紙を、べったり門前に貼り置いた。


 犬でも追うような剣幕だった。

 

 

Asahi River Okayama pref02bs3872

Wikipediaより、旭川岡山市中心部を流れる)

 


 効果はすぐに顕れた。


 ただし彼の期待とは、おおよそ真逆の方向で、である。


 手紙が来たのだ。「左様な貼出しを成し置く貴殿の如き頼母しき御方の投票を得るは至極光栄」とかなんとか、面談謝絶の掲示さえ褒め殺しのタネにする、図々しさの権化のような手紙が、だ。


(なにをこの、歯の浮くような)


 眉根を寄せる一方で、しかしこんな攻勢のかけかたもあるのかと、奇妙な感心が訪れもする。


 これぐらい押しが強くなければ代議士なんざ務まらぬ、利害得失の複雑怪奇に入り混じる政治世界で羽翼を伸ばすことなんぞ夢のまた夢じゃあるまいか、と。


 差出人は福井三郎。


 選挙期間中の演説会で、


「人のかかあを盗った野郎が、偉そうに。いっちょまえ・・・・・・の人間ヅラして、よくまあ壇上に立てたもんだぜ」


 聴衆からこう・・野次られて、間髪入れず


「あれは小学校教員時代の過失あやまちで代議士となったらそんなことはやらぬ」


 これこの通り、一呼吸ひといきのもと切り返すなど、開き直りにも似た威勢のよさは随所に於いて散見された。


 福井にとってはこの第八回・・・が初出馬であり、そして見事当選している。

 

 

 


 大したやつだ。骨太と呼ぶに相応しい。政治家たるもの、これぐらい個性的であってくれねば。


 なお、附言すると、彼の前歴には「小学校の教員」以外に、甲府日日新聞――山梨日日新聞の前身に相当――に奉職していた時期がある。


 甲州出身の筆者とは、その一点であながち縁がなくもない。


 ちなみに目下山梨県では知事選が絶賛進行中だ。

 

 

 


 せめて福井三郎の半分ほども骨太な候補があって欲しいが、さて、どうだろう。

 

 

 

 

 


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初夢瑣談 ―二枚貝のクイックブースト―


 そのころ越後福島潟に、妙なやつが棲んでいた。


 見かけは、まあ、ごく端的な表現で、巨大な二枚貝である。


 殻長およそ三~四尺、120㎝にも達したとのことだから、地球最大の二枚貝オオシャコガイと並べたところで引けは取るまい。威容に於いて、十分伯仲させられる。

 

 

Giant clam or Tridacna gigas

Wikipediaより、オオシャコガイ

 


 が、妙というのは何もサイズの話ではない。


 こいつは高速移動するのだ。


 鈍重が種族的特徴の貝殻野郎の分際で。まるで射られた矢の如く、一直線に、水面を。


 目撃例は数多い。地元民との遭遇は頻繁に起きていたらしい。


 個々の証言を繋ぎ合わせることにより、おおよその生態も判明みえてくる。


 多くの貝類同様に、こいつも夜行性だった。遮るものなき澄んだ夜空を特に好んで、カバがあくび・・・をするみたく大胆に蓋を解放させる。中にはこれまたビッグサイズの――ほとんど成人男性の握りこぶしほどもある、それはそれは見事な真珠が存在し、零れ落ちる月光をふんだんに呼吸していたという。

 

 

Fukushimagata-panorama

Wikipediaより、福島潟のパノラマ写真)

 


 しかしどういう感覚器官の働きか、その輝きに魅了された人間が一定範囲に踏み入ると、たちまち上に記したままの、軟体生物に相応しからぬ度外れた運動能力の発露によって雲を霞と逃げ去りおおせる――多くの場合、蓋を閉じるのも後回しにして、おっぴろげたままの姿で。


 たぶん福島潟のヌシなのだろうが、それにしてもひょうきん・・・・・というか、滑稽味のあるやつである。とどのつまりは、


「妙」


 の一文字に帰着する。

 


「折々見るものあれども、昔よりある貝にして殊に光あるものなれば、人恐れて取る事なし。又あまり程近く見る事なければ、何貝といふ事を知る事なし。唐土もろこしなどにていふ所の蚌珠ぼうじゅにやと沙汰するのみ也」

 


 と、橘南渓はその紀行文東遊記に書きつけた。

 

 

(ちょっと前にシリーズ最新作の発表されたハイスピードメカアクション)

 


 数日前、夢を見た。


 夢で私はJR塩山駅構内なかに居て、旅装束で電車が来るのを待っていた。


 するとそこへ闖入者が出現あらわれる。そいつには目鼻も耳もない。炊き立てご飯を圧し固めて人の形に整えたとしか言いようのない、おむすび野郎と形容すべき怪物で、何故か藤原啓治の声音で喋り――口もないのに、どこから音を発していたのか不可解至極――、危機を訴えかけていた。


 なんでも通り魔に襲われて、毒を埋め込まれたという。


 このままでは汚染が進み、我が身を織り成す米粒という米粒はただのひとつの例外もなく毒米へと変化して、人格まで邪悪の側へ大きく傾倒するという。


「それは大変だ」


 さっそく保健所を呼んでやろうスマホを掴み、はて、それからどうなったのか、記憶は曖昧模糊である。


 とまれかくまれ、これが令和五年に於ける我が初夢の内容だった。

 

 

Enzan-Sta-S

Wikipediaより、塩山駅南口)

 


 実にカオスであったため、同属性の――カオスな話とくっつけてみたい気になった。


 すべてはそういうわけである。お付き合いに感謝する。

 

 

 

 

 


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