穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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「男の世界」に手を伸ばす ―この閉塞から脱却を―


「野間の相手は疲れる」との評判だった。


 この「雑誌王」と碁盤を挟むと、とにかく猛然と攻め立ててくる。外交交渉も準備工作もありゃしない。開幕早々、まっしぐらに石をぶつけて、火を噴くような大殺陣に否応なしにもつれ込む。


 王よりも、単騎駆けの武者といった打ち筋だろう。


 おまけにその鋭鋒は、ちっとも緩む気配がないのだ。

 

 

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 何十目の大差がつこうが、頑として攻めの姿勢を崩さない。終局までその調子で通しきる。


 ために相手を務める身としては、技巧以前にまずその気迫に圧倒される思いがし、呼吸いきが上がって胸が苦しく、背にじっとりと汗をかき、決着時には――たとえ勝とうが敗けようが――くたくたにならざるを得ぬそうだ。講談社創業の雄、野間清治とは、そういう漢だったらしい。


「『キング』があれほど面白い理由がわかった」


 そう嘯いた者もいる。


 ダイヤモンド社々長、石山賢吉その人である。


 彼は野間を一口に、


「百二十パーセントの人だ」


 と評し、


「よい雑誌を作っても、尚ほ其の上によい雑誌を作らうとする。何処まで行っても、満足しないのが、野間氏の雑誌経営法である。それだから、雑誌の出来栄えもいゝ。同じ雑誌を作っても、よそのと違ふ」


 分厚い胸板の奥に流れる、飽くなき貪婪さを喝破している。(昭和十二年『事業と其人の型』52頁)


 なお、対局自体は石山の一方的な敗北に終わった。

 

 

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野間清治

 


 閑話休題それはともかく


 この逸話に触れたとき、私の海馬は電極でもぶっ刺されでもしたかの如く激しく震え、突発的に古い記憶をよみがえらせた。


 漫画版『バトル・ロワイアルにまつわる記憶だ。


 十二巻の巻末に、山口貴由の寄稿があった。


 藤木源之助みたような桐山和雄の肖像を添え、シグルイ』の作者はその内心を、斯くの如くにぶちまけている。

 


 少年誌で出会った頃の僕と田口雅之氏の作風は、とてもよく似ていたと思う。
 ボクサーに例えるなら、ゴングと同時に飛び出していきなり強い右、避けられたらもう一度右、スタミナ配分なんて関係ない、痛い目に遇うのは勲章のようなもの……。
 しかし、わが良き友は蛮勇に留まってはいなかった。
バトル・ロワイヤル』を前にして僕は戦慄する。
 右を放つ前に、目で揺さぶりをかけ、強弱を織り交ぜた左を打ち分けてくる。
 鮮やかに見開きを極めるための手順を知り尽くしているし、根気のいるその作業を決して省略しない。
 野良犬の僕は訓練された猟犬に喉笛を噛みちぎられた。
 自分を殺してくれるのはいつもどこかの他人ではなく、一番近くにいる友人なのだ。

 

 

 


 これは『バトル・ロワイアル』の販促というより、より濃厚に山口貴由が何者であるかを物語っているだろう。


 こんな漫画家がいるのかと、目を洗われる思いがした。


 やがて『シグルイ』を手に取る動機の一つとして、このとき受けた衝撃があるのは疑いがない。


 正気にては大業ならず、武士道はシグルイなり。


 そういえば石山賢吉も、


「成功者は一面から見れば気狂いである。気狂いに見へるほど熱意があって初めて事業は成功するのである」


 と、容易ならぬ発言をしている。(『事業と其人の型』148頁)


 結局のところ、男道とはここ・・に集約されるのだろうか。


 どうにも思うように筆が進まず、スランプに陥りがちな今日このごろ、久々に葉隠を読み直すのもいいかもしれない。


 きっと血液を総入れ替えするような、清々しい気分に浸れるだろう。

 

 

バトル・ロワイアル

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ムッソリーニの「独身税」 ―多産国家イタリア―

 

 以下の内容は、あるいは一部フェミニストを激怒させ、血圧の急上昇による気死すら招くものかもしれない。


 結婚して家を成し、子供を儲けて血筋を後に伝えることは人間として最低限度の義務であり、且つうはあらゆる幸福の基礎であると規定した国が一世紀前存在していた。


 ファシズム時代のイタリアである。


 ベニート・ムッソリーニほど、人口増加奨励――「産めよ増やせよ」政策を強力に推し進めた政治家は、他に居ないのではあるまいか。

 

 

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ムッソリーニ、ローマ入城七周年記念式典にて演説中)

 


 彼は「避妊は国民の死滅、父に非ざる者は人に非ず」の警句を好んで用い、既婚者には優遇を、独身者には罰則を、それぞれ与えて憚らなかった。


 その最も露骨な例として、独身税の導入がある。


 これは二十五歳以上六十五歳以下の独身男性を対象とした税制であり、その細やかな内訳をみると、


 二十五歳以上三十五歳以下には年間七十リラを、


 三十六歳以上五十歳以下には年間百リラを、


 五十一歳以上六十五歳以下には年間五十リラを、


 それぞれ徴収したものであり、イタリア全土で平均五千万リラ程度の納付が見込めていたそうだ。


 この五千万リラの主な用途は産前産後の母体保護に宛てていたから、制度としては一貫している。


 そのほか結婚可能年齢を男子十六歳、女子十四歳に定めたり、堕胎を厳罰化してみたり、就職及び兵役上に各種の便宜を図るなどして多産を奨励した結果。ムッソリーニが実権を握った一九二二年から一九二八年までの六年間で、イタリアの人口はざっと二百万ほど増加した。

 

 

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ファシストのローマ進軍)

 


 みごとな成果といっていい。


 が、ドゥーチェにとってはまだまだ満足できないらしく。一九三〇年の四月には、更に思い切った政策を打ち出している。


 二人以上の子供を有する家庭には、相続税を免除するという太っ腹な方針だ。


 もっともこの言い方には多少の語弊があるかもしれない。ファシスト党は政権獲得早々に相続税を撤廃しており、今回それを、子供の数が二人未満の家庭に対し復活させたとした方が、より正鵠を射ていよう。


 さりとて復活させたとは言い条、三千リラ未満の相続に対してはやはり無課税で通しているから、弱者救済の意図は存在したと看做し得る。


 ローマ中の小学校の教室に古代ローマ帝国と現イタリアの地図とを並べ、更にその地図の上に、ムッソリーニ自身の筆で、


 ――太陽はローマ以上の大都市を照らしたことなし。


 とか、


 ――人口の増加は国運の隆盛を意味する。


 とかいった意味の文章が、墨痕淋漓と記されるという一種凄絶な光景は、このようにして成立したというわけだ。


 全体主義者のやり方は極端に過ぎるきらいがあるが、先進国で人口増加を図りたいなら、どうだろう、いっそこれぐらいの荒療治に打って出ねば到底不可能という感じもすまいか。

 

 

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ムッソリーニの息子たち、右がブルーノ、左がヴィットーリオ)

 


 当時のイタリアを跋渉した日本人に、布利秋の名前がある。


 愛媛出身の通信員で、旅行をこよなく愛好し、その性癖が昂じるあまり気付けば六十余ヶ国を股にかけ、都合九万三千キロを踏破していたという「剛の者」だ。


 一面奇行家としてもよく知られ、大正三年セオドア・ルーズベルト大統領に、


「東洋人に対する差別をなくせよ、さもなくば余と決闘をもって黒白を決定されたい」


 などという決闘状を送り付け、国外退去処分を喰らいもしている。


 そういう男の両眼に、「多産国家イタリア」はどう映ったか。


 せっかくなので付け加えておきたくなった。――以下、彼の小稿、ファシストを繞る文化運動』からの抜粋である。

 


 最近は双生児や三ツ子を産むものに対して、内務省は特に賞金を与へ、更に子沢山な家庭には、ムッソリーニ章を授与して、超スピードの人口増加政策に努力してゐる。これまでのイタリーは、ヨーロッパに於ける唯一の堕胎王国であって、各国から堕胎婦人が集まったのであった。そして、避妊、堕胎に関する良薬は、イタリーの専売でもあった。しかし、ファシスト政府が避妊堕胎を厳禁し、これまでの良薬は一切売買を禁止され、産児制限を目的とする薬品機具は、断然厳重な取締を受けるに至った。そのために避妊堕胎のヨーロッパ婦人は一大恐慌を来したのであるが、イタリー婦人だけは、フランスの産婦よりも、更に莫大な賞金を受けるので、我勝ちに産婦たらんとする傾向が現はれ、日に日に人口の激増を見るに至った。

 

 

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(夕暮れのフィレンツェ

 

 

  これ以外にも布利秋は「イタリーの国情は帝王的独裁でなかったならば、労資協調の実は挙げ得ることはできない。この点は或る意味の方便であって、矢鱈に帝王権を振りまはすところに、イタリーの救世事業が完成に導かれる深い意義が存するのである」と書いたりし、ムッソリーニに対しては一貫して高評価をつけている。

 

 

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老い知らずなり伊藤博文 ―厳島にて後藤と会す―

 

治乱誰言有両道
修文講武是良漢
胸中所盡無他策
欲韓山草木蘇生


 伊藤博文うたである。


 明治三十八年、初代韓国統監として実際に彼の地に渡る際、吟じたものであるという。

 

 

Japanese General Government Building at Waeseongdae

 (Wikipediaより、統監府庁舎)

 


 藤公、このとき六十五歳。


 既に還暦を過ぎていながら、その精神は些かも張りを失っていない。前途に控える大仕事への、盛んな意気込みが伝わってくる。


 しかしながらその一方で、藤公の此度の挑戦を「危険な火遊び」と看做す手合いも少なくなかった。当代きっての従軍記者で探検家、ロシアに異常な関心を燃やすジョージ・ケナンの如きなど、


「朝鮮王は独特の陰謀性を持つ上に、無神経で曖昧で虚栄心に満ちた男だ。伊藤公のような公正な文明流の政治家は決まって篭絡されるに違いない」


 と、「抜き身」にもほどがある予測を敢えてしている。


 さりとて「抜き身」であるだけに、ケナンの言葉は一定の真理を穿っていたとも言えるであろう。実に伊藤博文は――否いっそ大日本帝国そのものは――、関わるべからざるモノに関わり落花凋落の憂き目に遭った。

 

 

George Kennan wearing Georgian cossak uniform, half-length portrait, facing left

 (Wikipediaより、ジョージ・ケナン

 


 晩年の伊藤に関しては、こんなエピソードも伝わっている。

 


 統監を辞して間もなく伊藤は満洲へ行くことになった。これは支那西太后が米国の力を借りて日本の勢力を押へんとしてゐるし、露国の軍人仲間はいつか雪辱戦をと策動してゐるので、伊藤を世界の大舞台に立たせて日本の東洋政策を完成しようとの腹で、後藤新平が伊藤を動かしたので、四十年の五月に厳島で後藤は伊藤に会って、三日三晩に亘ってこのことについて談話を交へた。両人とも豪壮の人で胸襟を開いて談論した。内情を知らぬ女中は「何て酒癖の悪い人かしら、毎晩毎晩酒を飲んでは喧嘩をしてゐる」と驚いたさうである。(昭和十四年『躍進日本 事件と人物』79頁)

 

 

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厳島

 


 十六歳も年下で、エネルギッシュなこと全身の毛穴という毛穴から蒸気を噴かんばかりとされた後藤新平を相手どり、がっぷり組んで些かも引けを取らなかった点、伊藤の精気は相も変わらず絶倫至極なままだった。


 老い知らずとは、伊藤のためにあるような言葉ですらあったろう。


 安重根の大馬鹿野郎に無理矢理魂の緒を引き千切られねば、その後どこまで栄えたことか。あるいは尾崎行雄のように、九十まで現役で政治をやっていたかもしれない。そうなれば日本の運命もよほど変わったに違いなく、この点想像の余地は広い。


 広い・・というそのこと自体が、彼の秘めていた可能性の巨大さを物語っているだろう。

 

 

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タマニー・ホール武勇伝 ―不正選挙の玄人衆―

 

 第五十九回大統領選に関連して、不正選挙だ言論弾圧だ陰謀だとなにやら色々かまびすしいが、アメリカがロクでもない国なのは、別段今に始まった話ではないだろう。


 なんといっても、慈善団体が十年足らずで政治ブローカー集団に早変わりする土地なのだ。


 十九世紀のニューヨーク市政を壟断しきった、悪名高きタマニー・ホールを言っている。

 

 

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 この民主党マシーンの機能については、既に百年近く前、時事新報社経済部がこれ以上ないほど赤裸々に素っ破抜いてくれている。曰く、

 


 日本の官僚や政党政治家は、選挙権の拡張に対しては、伊勢屋の親爺が金を出し吝むやうにケチであるが、自由民権の国だけあって、タマニーの遣り方は其反対に、選挙権のない多数の外人に不正帰化を許して、選挙権を賦与したものである、その上愈々開票の際には、選挙の係員から立会人等一切を自党で占めて投票の計算に不正を働くと云ふ徹底ぶりである。(昭和三年『利権物語』10~11頁)

 


 ほとんど売国まがいの邪道も辞さない機関であると。


 反対党のやることはなんでも批難し、些細な傷を針小棒大にあげつらい、全力で足を引っ張りまくって権勢の座から叩き落とすのが政党政治の鉄則であるが、それにしたって限度があろう。こんなことを許していては、前提たる国家自体が壊れてしまいそうである。


 それともこうして眉を顰めざるを得ないのは、私が民主主義の伝統薄き日本国の蒼生だからか?


 まあ、そんな詮索はどうでもいい。上の遣り口を淫するほどに用いた結果、「或時の選挙にはニューヨーク市の投票数は、有権者総数よりも八パーセントも多かったと云ふやうな、奇々怪々な現象も表れたものだ」そうである。


 なんのことはない。不正は民主党の伝統だ。だから今回、不自然な票の動きとか、不透明な集計模様を報されようと、私はさして驚かなかった。連中ちょっと、先祖返りを試みでもしたのだろうと――。


 中共のテコ入れがあるにせよ、元々そういう土台を持っていたのは否定できまい。

 

 

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 タマニー・ホールの絶頂時代は、1870年前後に訪れている。


 たった三年で一億ドルを騙取したという伝説が誕生したのもこのときだ。


 市長も、
 知事も、
 判事も、
 会計官も、


 およそ枢要の役職は悉くタマニー・ホールの人員により独占されて、ニューヨークは完全に、彼らの自家薬籠中の物だった。その威光の赴くがまま、タマニー・ホールは無限の自由を謳歌した。

 


 彼等が其黄金時代に於て、其全盛を恃んで営んだ不正非道の利権行為は、挙げて数ふ可からざるものがある。(中略)市区改正に際して一味のものをして予定地を買収せしめ、之に多額の賠償金を支払ふとか、市の各種の工事の請負、用品の納入をも一味の関係者に当らしめて其のコンミッションを取るとか云ふ遣口である。千八百七十年代では紐育ニューヨーク市の人口もまだ少く従って市役所の規模なども極めて小さかった筈であるが、それでも猶年々百五十萬弗からの文房具代を、一派の利権会社に支払うてゐる。(12頁)

 


 参考までに触れておくと、1870年に於ける150万ドルは現代に於けるおよそ3070万ドル、日本円に換算して31億円以上に当たる。


 毎年、31億円以上の文房具代。


 どれだけ高級なインクやペンを使っていたというのだろうか。目も眩むようなアメリカンドリームの具現であった。

 

 

Nast-Tammany

 (Wikipediaより、トーマス・ナストの風刺画。タマニー・ホールという虎が、民主主義を食い殺している)

 


 甚だしいのは千八百六十八年、二十五万弗の予算で、建築に決した州の裁判所の建物が、三年間に予算を超過すること千二百七十五萬弗、それで尚工事が出来上がらないと云ふやうな不体裁を演じてゐる。いかに萬能の偉力を持った弗でも建築屋に金が廻らないで、政治家のポケットに入っているのでは泰山を挟んで、黄河を越えんとするやうなもので、出来る筈がない。其外一味の利権会社をして各新聞紙に厖大な広告をなさしめて、間接に新聞買収を試みる等、魔の手は各方面に延びてゐたものである。(12~13頁)

 


 過去の声には耳を澄ましてみるものだ。


 これから先のアメリカがどんな変容を辿るのか、ひどく楽しみになるではないか。

 

 

日本人よ強かになれ 世界は邪悪な連中や国ばかり

日本人よ強かになれ 世界は邪悪な連中や国ばかり

  • 作者:高山 正之
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黒川園長、カバを説く ―その生態と肉の味―


 明治四十四年二月二十三日、上野動物園に一頭のカバがやって来た。


 日本に於けるカバの展示の第一である。


 たちまち人気が沸騰した。

 

 

Nijlpaard

 (Wikipediaより、カバ)

 


 この珍妙な、さりとてどこか愛嬌のあり憎めない外貌みかけを求めて連日客が殺到し、獣舎をぐるりと取り囲み、まるで黒山のようだったという。


 今で云うパンダに等しい持て囃されっぷりだろう。


 そうした風潮を反映してか、黒川園長も事あるごとに、この偶蹄目にまつわる話を発表している。


 就中、私の興味を刺激したのは、「河馬の旅行」なる一節だった。


 ある条件が揃った場合、彼らは民族大移動を起すというのだ。

 


 河馬と云ふ動物は其常に棲んで居る河の水が浅いと、自分で自分の身体の没し得る程度に水の底を掘る。そして其常住の場所に餌が欠乏した時、若くは食餌の性質が思はしくない時には往々根拠地をかへると云ふ事だが、この根拠地をかへる場合、往々また河口から海の方へ出て、海岸を泳ぎながら進むことなどもあるさうだ。(昭和九年『動物と暮して四十年』114頁)

 

 

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 川の終点は海なのだから、あてずっぽうに陸上を行くより、海岸に沿って泳いだ方が確かに見付け易かろう。


 なかなか合理的な真似をする。


 しかし現地人にしてみれば、暢気に感心もしていられない。彼らにとって海原を進むカバの群れとは、畢竟移動災厄に他ならないのだ。

 


 其道程が長くなると勢ひ腹が空って来る。さすがの先生も腹が空っては進行を続けることが出来ぬので、止を得ず海岸から陸地の方へ上って来て、食餌をあさり、そして満腹すれば、また進行を継続すると云ふ風であるが、其上陸の際の如きは多くの群が上陸して、食餌のある方へと進行するのであるから、其行手にあたる灌木も雑草も、悉く蹂躙られて、所謂河馬の道なるものが出来、かくて第二の河口へ来て、居心地がよいとなると、其処が新しい根拠地となるので、或人はこれを河馬の旅行とも称して居る。(115頁)

 

 

Hippo uganda

 (Wikipediaより、カバの群れ)

 


 アフリカ辺の入植者、殊に農場主にとり、この「河馬の旅行」ほど恐るべきものはなかったという。


 一度侵入を許したが最後、その年の収穫は絶望的だ。圧倒的な食欲により何もかもが喰らい尽くされ、焼け野原も同然な惨状だけが残される。


 自己の財産を防衛するため、人は努力を惜しまなかった。耕作地をぐるりと壕で取り囲み、底を覗けば無数の杭が、尖端を天に向かって突き上げている農場まであったらしいから、最早ちょっとした防御陣地の構えであろう。


 そういえばニャミル椰子園を経営していた和田民治も、折に触れては自ら猟銃をひっかつぎ、農園の脅威となる猛獣――蛇、豹、野牛、オオコウモリに至るまで――を排除していた。

 

 

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(和田民治の野牛狩り)

 


 自然と取っ組み合う逞しさなくして、第三世界やって・・・いく・・ことなど不可能ということであろうか。


 ちなみに上手いことカバを狩猟し得た場合、その恩恵は潤沢だった。以下、再び黒川の言葉を借りる。

 


 河馬の効用は、皮、肉、脂肪、歯等が最も値打のある部分であって、皮はなめし皮にしたり、其の外鞭とか、ステッキのやうなものを作る。(中略)肉は大変美味いさうであるが、土人などはやはり塩漬にして貯へて色々な風にして食すさうである。其多量な脂肪は食用にもなるし、其他石鹸製造のやうな工業用に使はれる。其大きな歯は、殊に牙と称するものは象牙と同じやうに義歯にも使ふし、各種の細工物に使はれてなかなか其の効用は広い。(121~122頁)

 

 

Hippo Tusks

 (Wikipediaより、カバの牙)

 


 不幸にも高速道路に迷い込み、轢死したカバの亡骸に、周辺住民が殺到し、肉を求めて大乱闘をやらかしたのは、2005年のケニアであった。


 こうした現象を見る限り、きっと本当に美味いのだろう。「牛肉に近い」との評価もあって、つくづく興味深い生物だ。

 

 

 

 

 


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夢遊病者の殺人事件 ―牧野親成の裁き―

 

 夢遊病者が殺人事件を起こした場合、罪の所在は那辺にありや?


 単純かつ剄烈に、彼を殺人者として裁いてよいのか?


 江戸時代初期、四代将軍徳川家綱の治世に於いて、この難題を突き付けられた者がいた。


 京都所司代牧野親成その人である。寛延二年に刊行された説話集、『新著聞集』十七篇にその旨克明に記されている。

 

 

Makino Chikashige

 (Wikipediaより、牧野親成)

 


 現場は西谷なる小字、加害者は、さる代官の手代某。


 悪夢に魘され、はっと我に返ってみれば、既に掌中、血刀が握られていたという。


(えっ)


 心臓が凍った。


(まだ悪夢の続きにいるのか)


 狼狽のあまり、そんなことまで考えた。


 そうであったら、どれほどよかったことだろう。この現実を一睡の夢にしてしまえるなら、彼はこの先、永遠の悪夢に閉じ込められても構わないと、やや矛盾した内容を、しかし本気で考えた。


 それも致し方ないだろう。目の前に広がる光景は、あまりに無惨でありすぎた。


 刀を濡らす血の主。さても哀れな被害者は、彼の糟糠の妻だったのだ。

 

 

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「――、――よ」


 名前を呼んで掻き抱こうとも、体温が戻ることはない。


 彼女は明らかに絶命していた。


 騒ぎを聞きつけ、家人がその場に集まりだした。


 皆、こぞって唖然とし、魂を抜かれたようになり、身体の動かし方すら忘れ、変に白っぽい表情のまま沈黙している。


 結局、某は自分で届け出た。京都所司代牧野親成の屋敷に罷り出、自己のしでかした一切を、洗いざらいぶちまけたのだ。


「なんということだ」


 流石の牧野も前代未聞の椿事を前に、どう裁量すればよいのか途方に暮れる思いがし、さりとて何もしないわけにもいかず、兎にも角にも某を牢にぶち込んでおくことにした。


 三日が過ぎた。


 調査を進める牧野のもとに、またも転がり込んだ者がいる。


 被害者の父親、すなわち某の舅であった。


(怨みごとを並べに来たな)


 そう考えるのが妥当であろう。


 ところが事態は牧野の予想を甚だしく裏切った。


「婿殿の命、何卒お助け下されたく。――」


 老爺は愚痴など、片言半句も吐き出さなかった。


 発射される言の葉は、ことごとく「婿殿」を擁護する意図に満ちていた。


 そう、老人はみずからの娘を殺した男の、助命嘆願に参ったのである。

 

 

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(京の小路)

 


 このあたり、「家」の保全にかける思いの丈もさることながら、某の平生のふるまいも与って力あったらしい。


 彼はまったく、良き夫にして良き父だった。


 その夫婦生活は円満にして幸福そのもの。子宝にも恵まれて、前途の繁栄、約束されたも同然なりと、誰もが信じて疑わなかった。


 そこへ突然の流血である。


 晴天の霹靂どころではない。


 天地逆転も同然だった。


 大人たちですらそう・・である。況や子供らに於いてをや。

 

 既に母を喪った。それも極めて異常な経緯で喪った。この上父まで処刑され、二度と会えなくなろうものなら、いったい彼らの神経は保つのか。いやきっと保つまい、粉みじんに砕け散るに決まっている、その有り様を想像すれば、


「目もあてられず候」


 老いさらばえた皮膚を朱に染め、舅は縷々と語を継いだ。


「さもあろう」


 牧野は深く頷いた。

 

 

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 実際問題、所司代に寄せられつつある報告も、いちいち某の素行の良さを証明するものであり、あの夜のことはまったく不幸な偶然か、いっそ悪霊にでも取り憑かれたと考えた方がよほど納得のいくような具合で、内心減刑の口実を、密かに探してさえいたところである。


 そこへちょうど都合よく、


「下手人を出さんとするならば、此老人の命を召給へ」――身代わりになって死んでもいい、とまで極言する人物が出現あらわれたのだ。


(天の配剤か)


 奇貨おくべしと、牧野は即座にこの状況を利用した。


「そのほうの言い分、もっともである」


 と認めてやり、


「しからば一族にて連判せよ」


 その書面を受け取り次第、某の縛めを解いてやると約束したのだ。人を殺めたにしては、嘘のように軽い処罰であったろう。夢遊病者の殺人は罪に問えぬと、牧野は判断したらしい。『新著聞集』の文章も、彼の裁定を後押しする調子で綴られている。


 夢とは制御不能なものだと、乾いた諦めの感情が、共通認識として誰の胸にもあったのだろうか。

 

 現に舅に至っては、例の婿殿を擁護する口上中で、

 

「娘の事は不仕合是非に及ばず」

 

 きっぱりと割り切ってのけている。

 

 

旧約酒場 ~ Dateless Bar ”Old Adam”.[東方Project]

旧約酒場 ~ Dateless Bar ”Old Adam”.[東方Project]

 

 

 

 

 
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山梨の自動販売機 ―ワンハンド高級アイスクリーム―

 

 まだ生きているとは思わなかった。


 先日山梨に帰省した折、撮影したものである。

 

 

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 レトロデザインなアイスクリームの自動販売機。電源は入っていないから、「生きている」という表現には語弊があるか。


 まだ撤去されずにいたとは驚きだ、と書くべきだろう。少なくとも二十年は昔から、この機械が稼働しているのを見たことがない。

 

 

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「ワンハンド高級アイスクリーム」を謳いながらも、値段表示は一律百円。PariPariだのチョコモナカだの、どことなく見覚えのある商品が並ぶ。


 矢印が集中する真ん中は「当り」ランプになっていて、これがうまいこと点灯すれば、もう一個おまけで手に入るとか。こういうギミック付きの自販機はよく見掛けるし、買いもするが、一度たりとて当りを引けた例がない。この不ヅキが、これからの人生で償われるとよいのだが。

 

 

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 もののついでにこちらの写真も上げておく。山梨で自販機といえばコレ、ハッピードリンクショップだろう。身延あたりではゆるキャン△』とコラボして随分華やかにやってるらしい。羨ましい限りである。

 

 

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 恵林寺。初詣に訪れたとき、境内の池は半分近く凍結していた。

 

 

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 ここで大小切騒動の始末がついたかと思うと、感慨もまた一入ひとしおである。

 

 

 

 

 

 
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