夢遊病者が殺人事件を起こした場合、罪の所在は那辺にありや?
単純かつ剄烈に、彼を殺人者として裁いてよいのか?
江戸時代初期、四代将軍徳川家綱の治世に於いて、この難題を突き付けられた者がいた。
京都所司代、牧野親成その人である。寛延二年に刊行された説話集、『新著聞集』十七篇にその旨克明に記されている。
(Wikipediaより、牧野親成)
現場は西谷なる小字、加害者は、さる代官の手代某。
悪夢に魘され、はっと我に返ってみれば、既に掌中、血刀が握られていたという。
(えっ)
心臓が凍った。
(まだ悪夢の続きにいるのか)
狼狽のあまり、そんなことまで考えた。
そうであったら、どれほどよかったことだろう。この現実を一睡の夢にしてしまえるなら、彼はこの先、永遠の悪夢に閉じ込められても構わないと、やや矛盾した内容を、しかし本気で考えた。
それも致し方ないだろう。目の前に広がる光景は、あまりに無惨でありすぎた。
刀を濡らす血の主。さても哀れな被害者は、彼の糟糠の妻だったのだ。
「――、――よ」
名前を呼んで掻き抱こうとも、体温が戻ることはない。
彼女は明らかに絶命していた。
騒ぎを聞きつけ、家人がその場に集まりだした。
皆、こぞって唖然とし、魂を抜かれたようになり、身体の動かし方すら忘れ、変に白っぽい表情のまま沈黙している。
結局、某は自分で届け出た。京都所司代牧野親成の屋敷に罷り出、自己のしでかした一切を、洗いざらいぶちまけたのだ。
「なんということだ」
流石の牧野も前代未聞の椿事を前に、どう裁量すればよいのか途方に暮れる思いがし、さりとて何もしないわけにもいかず、兎にも角にも某を牢にぶち込んでおくことにした。
三日が過ぎた。
調査を進める牧野のもとに、またも転がり込んだ者がいる。
被害者の父親、すなわち某の舅であった。
(怨みごとを並べに来たな)
そう考えるのが妥当であろう。
ところが事態は牧野の予想を甚だしく裏切った。
「婿殿の命、何卒お助け下されたく。――」
老爺は愚痴など、片言半句も吐き出さなかった。
発射される言の葉は、ことごとく「婿殿」を擁護する意図に満ちていた。
そう、老人はみずからの娘を殺した男の、助命嘆願に参ったのである。
(京の小路)
このあたり、「家」の保全にかける思いの丈もさることながら、某の平生のふるまいも与って力あったらしい。
彼はまったく、良き夫にして良き父だった。
その夫婦生活は円満にして幸福そのもの。子宝にも恵まれて、前途の繁栄、約束されたも同然なりと、誰もが信じて疑わなかった。
そこへ突然の流血である。
晴天の霹靂どころではない。
天地逆転も同然だった。
大人たちですら
既に母を喪った。それも極めて異常な経緯で喪った。この上父まで処刑され、二度と会えなくなろうものなら、いったい彼らの神経は保つのか。いやきっと保つまい、粉みじんに砕け散るに決まっている、その有り様を想像すれば、
「目もあてられず候」
老いさらばえた皮膚を朱に染め、舅は縷々と語を継いだ。
「さもあろう」
牧野は深く頷いた。
実際問題、所司代に寄せられつつある報告も、いちいち某の素行の良さを証明するものであり、あの夜のことはまったく不幸な偶然か、いっそ悪霊にでも取り憑かれたと考えた方がよほど納得のいくような具合で、内心減刑の口実を、密かに探してさえいたところである。
そこへちょうど都合よく、
「下手人を出さんとするならば、此老人の命を召給へ」――身代わりになって死んでもいい、とまで極言する人物が
(天の配剤か)
奇貨おくべしと、牧野は即座にこの状況を利用した。
「そのほうの言い分、もっともである」
と認めてやり、
「しからば一族にて連判せよ」
その書面を受け取り次第、某の縛めを解いてやると約束したのだ。人を殺めたにしては、嘘のように軽い処罰であったろう。夢遊病者の殺人は罪に問えぬと、牧野は判断したらしい。『新著聞集』の文章も、彼の裁定を後押しする調子で綴られている。
夢とは制御不能なものだと、乾いた諦めの感情が、共通認識として誰の胸にもあったのだろうか。
現に舅に至っては、例の婿殿を擁護する口上中で、
「娘の事は不仕合是非に及ばず」
きっぱりと割り切ってのけている。
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