穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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真珠とタチウオ ―フェイクパールの職人芸―

 

 インド人は宝石に対して並々ならぬ関心を示す。
 それは好む・・というような生易しい域でなく、より差し迫った、切実な色合いを帯びたものだ。


 東恩納寛惇インド亜大陸を歩き廻って分析したところによると、インド人は一般に、現金や有価証券に対してほとんど信用を置かないという。


 だからまとまった金が出来ればすぐさま宝石に取り替えて、これを身につけ、必要に応じて放出する。そういう精神上の習慣がある。インド人宝石商の活躍は現代に於いてもめざましく、ときに「宝石天国」などの称号さえ冠せられるほどであるが、それもこうした背景あってのことであろうか。


 それゆえに日本の真珠業者にとっても彼らはよい取引相手で、『泰 ビルマ 印度』には、御木本真珠ボンベイ支店が大勢の顧客相手に鳥羽湾の養殖場の活動写真を上映する場面が描かれている。

 

 

Toba Port 05

 (Wikipediaより、鳥羽湾)

 


 ――ところで、この真珠について。


 私はひとつ、面白い話を知っている。模造真珠――それも近代式のプラスチックや樹脂製ではない、タチウオの銀粉から造られる、古式ゆかしい模造真珠の製法だ。


 タチウオとは、むろんあの白身魚のタチウオのこと。サバの近縁種だけあってあってアブラが凄く、塩焼きにするとすこぶる美味い。

 

 

Trichiurus lepturus FishMarketInTokyo

 (Wikipediaより、売られているタチウオ)

 


 しかしながら模造真珠の材料としては、アブラが乗りきる前の小さく幼いやつが良い。こいつの表皮を覆っている銀色の膜――学術的にはグアニン箔と言うらしい――が、上質なフェイクパールの材料となる。


 芯の素材にもこだわるべきだ。ガラスより、どぶ貝で作った珠がいい。この珠の表面に、上記のタチウオの銀粉を塗りつけてゆくわけである。


 もっとも、そのまま素直に銀粉を押し付けたところで意味はない。何らかの溶媒とく・・必要がある。


 要点はここ、溶媒に何を用いるかだ。


 使用する薬品次第で、出来あがるフェイクパールの品質は著しく上下する。よってその選定には誰も彼もが智慧を凝らしたものであり、さながら大昔の刀鍛冶に倣うが如く、「秘伝」として容易に外部に漏らさなかった。


 そのために、失伝した製法も多かろう。


 ただ、ある職人のところでは、酢酸アミールを使用していた。

 

 

Amyl acetate-3D-vdW

Wikipediaより、酢酸アミールの3Dモデル) 

 


 バナナやリンゴに似た匂いを持ち、実際にフルーツ系の食品香料として用いられるこの化合物。第二石油類に該当するこの薬品にセルロイドを溶かすと、いい具合にドロドロした液体になる。


 俗にセルロイドニスとも呼称されるこの中に、更にタチウオの銀粉を一定量投下して、漸く準備は完了だ。銀色に輝くこのドロドロを、どぶ貝製のくだんの芯に注意深く塗ってゆく。


 均一に丸みを帯びたその物体を、後は火にあて乾かせば、バナナの香りは揮発して、セルロイドとグアニンとが残り固まるという仕組み。このあぶり方・・・・にも、むろん一工夫施されている。それ以外にも煩雑になるゆえ省いたが、酢酸アミールとセルロイドの比率等々、実に細かな規定があるのだ。

 

 

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 深みのある光沢は、ガラス製の大量生産品――あくまで「当時の」、という但し書きは附属するが――とは一線を画し、本物の真珠と並べてみても判別に戸惑うほどであったという。


 それにしても、言っちゃあ悪いが模造品ひとつ造るのに、よくまあこんな七面倒な工程を編んでのけたものである。凝ると決めたらどこまでも凝る、職人気質が躍如としていて味わい深い。

 

 

真珠の世界史 - 富と野望の五千年 (中公新書)

真珠の世界史 - 富と野望の五千年 (中公新書)

  • 作者:山田 篤美
  • 発売日: 2013/08/25
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『母国印度』 ―志士ラス・ビハリ・ボースの詩―

 

 東恩納寛惇『泰 ビルマ 印度』を読んでいて、ちょっと気になったことがある。


 インド亜大陸を紀行中の東恩納の想念に、しばしば「ボース」という名が登場するのだ。


 釈迦の時代から変わらず――否、下手をするとそれ以上の酷烈さで――運用されるカースト制度や、イギリスによる分割統治の辣腕ぶりなど、現実の厳しさを目の当たりにした場合に於いて、


 ――ボース氏のやろうとしていることは、なかなか容易な業ではない。


 このようなニュアンスのもと使われている。


 私ははじめ、この「ボース氏」とやらはチャンドラ・ボースのことだとばかり考えていた。


 当時活躍したインドの独立運動家で「ボース」と聞けば、まず八割方の日本人は、彼の名をこそ思い浮かべるのではなかろうか。そう、メッテルニヒの妥協なき理想主義に感銘を受け、「イギリスが武力で支配している以上、インド独立は武力によってのみ達成される」という信念を生涯に亘って貫いた、あの闘士の名前こそ。――

 

 

Subhas Chandra Bose NRB

 (Wikipediaより、チャンドラ・ボース

 


 だが、違った。東恩納の言及している「ボース氏」は、チャンドラではなくラス・ビハリの方だったのだ。


 違和感に気付いたのは、デリーの街で東恩納がバクシーという、やはり独立の熱意に燃える、インド人のインテリ青年と会談した記事に由る。別れ際、バクシー君は東恩納に次のように告げたのである。

 


 又會ひませう、東京にかへったら、バクシーに面會したと、ボースに話して下さい悦ぶでせう、私も行き度いが手続が面倒でなかなか許可して呉れませぬ(190頁)

 


(おや)


 意外さのあまり、眉をひらいた。


(居たのか、この時期。チャンドラ・ボースが、日本に――)


 そんな話は聞いたことがない。
 興味に駆られスマホを手にとり、検索エンジンの世話になり、そこで漸くラス・ビハリ・ボースというインドの志士が、日本に亡命していたことを知ったのだ。

 

 

Rash bihari bose

 (Wikipediaより、ラス・ビハリ・ボース

 


 1886年カルカッタの郊外チャンダンナガルで生を享けたラス・ビハリは、22歳にして母国救匡の大志を抱き、革命運動に参加。以後、総督暗殺未遂事件を起こしたり大規模蜂起の計画を練るうち、札付きの過激派として当局に目を付けられるようになり、1914年には彼の身柄に12000ルピーもの懸賞金がかけられるという破目に陥る。


 虎口と化したインドから、しかし翌1915年、彼はするりと脱け出した。


 活路を求めて向かった先は、日本である。


 日本に於けるラス・ビハリの活動は華やかだった。支援者にも恵まれて、頭山満内田良平といった右翼の巨頭も、英政府の追求から彼を隠すのにただならぬ貢献を果たしている。犬養毅アジア主義者の側面から、殊更目をかけていたようだ。

 

 

Rash Behari Bose and his supporters

 (Wikipediaより、ボースを囲む日本の支援者)

 


 そうした人間関係の網目の中に、東恩納寛惇の名も組み込まれていたのだろう。彼はまた『泰 ビルマ 印度』の中でラス・ビハリが詠んだという『母国印度』を紹介し、その愛国心よみしている。

 

 

母国印度

おゝ 君はなべての人類を魅する!
おゝ 君が國土は常に汚れなき
晴朗なる太陽の光緑もて輝く
世の父と母とを生みたる者よ!

紺碧の波もて君が足は常に洗はれ
君が緑の襟巻は常に微風にゆらぎ
高き空に口づけする君がヒマラヤの眉
君が頭は白き雪の冠を頂く

黎明は蒼天に現はれめぬ
サマの聖歌は君が聖なる林にぞ起り初めぬ
いやさきに 君が森の住居に
知慮と徳と詩の姿は顕はれたり

とはに恵深くあれ 君に栄光あれ
ヂャーナヴイとジュムナこそ
君が愛の流れ
いみじくも聖なる乳の贈與者
おゝ母君よ!

 


 ジュムナとはおそらくガンジス川最大の支流、ヤムナー川を指している。ヂャーナヴイに関しては、特定することは叶わなかったが、やはり河川の名前でないか。

 

 

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 ラス・ビハリ・ボースは1923年、日本に帰化した。


 日本人女性相馬俊子と結婚し、一男一女を設けてもいる。


 当然日本語にも堪能だったに違いなく、あるいはこの『母国印度』は誰が訳したものでもない、徹頭徹尾彼ののみによるものであったか。

 

 

 

 

 


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夢路紀行抄 ―車中談議―

 

 夢を見た。
 車の中の夢である。


 ふと気が付くと友人の運転する車の助手席、そこに座って雑談に興じる私が居たのだ。


 車内にはラジオも音楽もかかっておらず、ただ二人の話し声だけが響いていた。


 友人は私に、多年の研究の果てに見出したという真理について熱く語った。なんでも彼の言うところでは、同じアニメーション作品でもそれを視聴する環境次第で面白さに顕著な差異があらわれるという。


 つまり、アマゾンプライムやネットフリックス等に代表される、ストリーミング再生に依った場合と。


 手持ちのDVDやBDをプレーヤーに叩き込んで再生させる、旧来の手法に依った場合とで、だ。

 

 

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 友人の展開した理論は電光のようにあざやかで、まさに天啓といってよく、秘め置かれし啓蒙的真実をこれほど鋭く抉り出すとは、いやはやとんだ天才もいたものだと膝を打って感嘆したのを覚えている。


 が、斯くも素晴らしき新発想の詳細は、目覚めと同時に湯を注がれた海苔のように形を失い、今では痕跡すらも残っていない。在るのはただ、何か偉大なものに触れたという感慨だけだ。

 


 いつの間にやら、我々の車は寂れた温泉街を疾走していた。

 


 窓の外では体育着姿の女生徒たちが、真面目な顔で電線からぶら下がり、腕を交互に動かすことで前へ前へと進んでゆくところであった。


 陸上部の練習中だと、何故かなんの疑問も抱かず、ごく自然にその光景を受け入れた。


「俺たちにも、あんな時代があったよな」


 今にして思うとあってたまるかと切り捨てるべきこのセリフは、しかし他ならぬ私自身の口から発せられたものなのだ。友人は深く頷いて、同調の意を示してくれた。


 アトラスから発売されたばかりのペルソナ5 スクランブル』をプレイ中であることが、或いはこの夢を形成した一大原因やもしれぬ。

 

 

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 北は北海道から南は沖縄まで、日本全国をキャンピングカーで旅してまわる青春真っ盛りの主人公たちの姿には、単なる憧憬を凌駕した、なにか物狂おしい感情を掻き立てられずにはいられないのだ。


 それにしても、ここまであからさまに反応するとは。肉体はともかく、感受性に関しては、私はまだまだ瑞々しさを失っていないようである。

 

 

 

 

 


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1933年のシンガポール ―東恩納が見た南溟―

 

 東恩納ひがしおんな寛惇かんじゅん『泰 ビルマ 印度』を読んでいる。


 沖縄出身の歴史学者である著者は、昭和八年の一月から十二月にかけ、東京府在外研究員として南溟一帯を行脚した。帰国後日記や写真等を整理して、見聞きしたことどもを一冊の書にまとめ直した。それがすなわち、本書である。


 行く先々の風景の中に琉球との共通点を――たとえば結髪の作法や建築様式、焼酎の醸し方といったような――探し求めているあたり、そのまま著者の愛郷心が窺い知れて趣深い。彼の死後、琉球新報によって東恩納寛惇賞」が設けられたのも納得だろう。

 

 故郷を愛し、また故郷に愛された人。なんとも羨ましい限りではないか。

 

 

Higaonna Kanjun and Iha Fuyu

 (Wikipediaより、中央が東恩納寛惇

 


 そんな東恩納寛惇が、海路シンガポールに至ったときのことである。


 港に入るや否や、あっという間に船は無数の独木舟に囲まれた。


 乗っているのは、例外なくマレー人だ。皴の目立つ老人もいれば年端もいかない少年もいる。誰も彼もが千切れんばかりに手を振りながら、


「テンセンテンセン」


 とわめく姿は、旅に不慣れな者が見たなら、すわ海賊の襲撃かと恐れをなしたことだろう。


 幸いにして、この船の客はよく事情を知っていた。おもむろにポケットをまさぐって、五銭硬貨や十銭硬貨を取り出すと振りかぶって海へと投げる。


 それらが上げた水しぶきを認めるや、マレー人たちは颯爽と小舟から飛び出し、潜水し、河童もかくやとばかりの見事な筋肉の躍動でたちまち硬貨を回収し、指先に挟んで高々と掲げ、はじけんばかりの笑顔を見せる。テンセンテンセンとは、ten銭」のことであったのだ。


 もしくは「十セント」にも掛けさせて、日米両方の船客に意味が通じるようにしたのかもしれない。


 極めて高度に近代化され、世界的な金融センターの地位を不動とし、「アジアで最も住みやすい都市」に幾度となく格付けされたこともある、現在のシンガポール共和国からはとても想像のつかない情景だろう。

 

 

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 まあ、それはいい。


 そんなマレー人の集団中に、ひときわ目を引く者がいた。


 手製の大きな葉巻を咥え、泰然とそれをふかしている男である。


 彼もまた、近くに小銭が着水するや、それを追って海中に身を投じるのだが、あきれたことにその動作の最中も、一切葉巻を唇から離さない。


 ――なんという愚かさだ。


 当然、ひとたまりもなく火は消えるだろう。海水をしとどに吸った葉巻では、再着火できるかどうかも怪しいものだ。


 ほとんどの船客が、男の短慮を嘲笑った。ニコチンが脳にどのような悪影響を及ぼすか、君、あれは格好の見本だよ。……


 ところがどっこい、再浮上した男の姿を一目見るなり、その表情は驚愕一色に塗り替えられることになる。


 彼の咥えた葉巻の先には未だ赤々と火が燈り、紫煙を上げ続けているではないか。


 この摩訶不思議な現象に、甲板はにわかに騒然となった。いったいどんなカラクリだ、もういっぺん見せてみろと小銭の雨が降り注ぐ。


 瞬きをやめ、目を皿のようにして観察し、漸く東恩納にも謎が解けた。そのマレー人は飛び込む前の一刹那、素早く葉巻を逆に咥え直していたのである。


 こうすれば火口は口腔中に隠されて、海水と接触せずに済む。一歩間違えれば舌や咽喉の粘膜に重大な火傷を負いかねないが、そこがというものだろう。東恩納の見る限り、男がヘマをやらかした形跡はまったくなかった。

 

 

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(独木舟のマレー人)

 


 一連の記述に目を通すうち、私は思わずあっと声を上げかけた。


(憶えがある)


 この話を聞くのは初めてではない。下田将美の『煙草礼賛』中にも確か、類似したくだりがあった筈だ。


 そう思って取り急ぎ「糟粕壺」命名した例のバインダーを捲ってみると、はたせるかな。過去の私は、しっかりとその部分を書き写してくれていた。

 

 
 マニラの本場フィリッピンも煙草好きの人には天国のやうな感がすることであるだろう。(中略)香りの高い煙の濃いマニラ葉がふんだんに得られる熱帯は愛煙者の天国でなければならない。
 ここで面白いことは、ルソンの土人間に行はれている喫煙法で葉巻に火をつけると、其火をつけた方を口にもって行って煙を吸ふのである。これは英領インド人の中にもやってゐる者もある。一寸きくと火のついた方を吸ふのなどは、野蛮きはまるので、すぐに火傷でもしさうに考へられるが、一寸練習さへすればちっとも口を傷つけずにうまく吸へるもので、こうすれば煙草の味が非常によくなる斗りでなく、ニコチンの害が少いのだと云ふことである。(43~44頁)

 

 

 


 ルソン、インド、そしてシンガポールにまで。


 空条承太郎の隠し芸みたようなこの喫煙法は、南溟の人々の間にかなり広く行われていたようである。

 

 

 

 

 


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表札盗み三奇譚 ―樋口一葉、東郷元帥、横山大観―


 筆跡に価値を見出す手合いは多い。


 古くから後を絶たないといってよかろう。古本なども著者のサインが有るか無いかで、値段に天と地ほどの隔たりが生まれる。


 著名人の表札なども、よくこうした好事家たちの興味の対象として上がったものだ。


 樋口一葉の日記、『水のうへ』には次のような一節がある。

 


 夜にまぐれてわが書きつる門標ぬすみて逃ぐるもあり、雑誌社にはわが書きたる原稿紙一枚もとどめずとぞいふなる、そは何がしくれがしの学生こぞりて貰ひに来る成りとか、(『一葉日記集 下巻』174頁)

 

 

Higuchi Ichiyou

Wikipediaより、樋口一葉

 


 明治二十九年一月くだりだ。


 樋口一葉の文章は、日記にさえもなにか独特の嫋やかさが満ちている。

 いっそ色気と呼ぶべきか。読んでいて、ふと血のくるめきを感じたほどだ。当時の学生諸君が先を争って出版社に詰めかけて、彼女の生原稿を欲しがったのも頷けよう。

 
 昨年度、東京都内のオークションにたけくらべの原稿が出品されるや2100万円の高値が付いたと耳にするが、「夜にまぐれて」盗まれた門標には、さて幾らの値が付くか、ちょっと興味をそそられる。

 


 一葉から十余年を経た明治四十年前後――。

 


 今度は海軍大将東郷平八郎の表札が盗難に遭う破目になる。

 

 

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東郷平八郎と安部真造)

 


 それも「盗み」のペースは一葉のそれよりよほど激しく、同じ表札が一週間とかかっているのは稀であったと、当時の新聞に掲載されたほどだった。


 徳川家康の作と云われる、

 

 

不自由を 常と思へば 不足なし

 


 の五・七・五を座右の銘に掲げていた元帥も、流石にこればっかりは閉口した。


 旧幕時代、「書役」即ち書記として薩摩藩に出仕していた都合上、字を書く行為それ自体には別段の苦痛も覚えなかった東郷であるが、堂々巡りの徒労感は否めない。そこでとうとう自分で筆を揮うのをやめ、誰か別の者に書かせたところ、盗難騒ぎはぴたりと止んだ。


「実に相手も敏感なものだ」


 なかなか見る目があるじゃあないかと、小笠原長生『鉄桜漫談』中にてからかうように述べている。

 

 

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(伊東にある東郷平八郎の別荘)

 


 樋口一葉

 東郷平八郎

 両名の表札を盗んだ連中は、彼らを熱愛するあまりついその迸りを抑えかね、衝動的に犯行に及んだ、いわば重度のファンだった。


 盗品は密かに私蔵され、ひょっとすると戦火を逃れて、未だ何処かの蔵の中に眠っているのやもしれぬ。


 しかしながら大正の初頭、横山大観の表札を盗んだ連中は違う。この近代日本画壇の巨匠もまた、表札の盗難被害に晒された一人であった。

 

 

Taikan Yokoyama 01

 (Wikipediaより、横山大観

 


 高田義一郎『らく我記』によれば、その頻度は六年間に八回というもの。東郷平八郎に比すれば遥かにマシと言っていいが、それでも盗まれる度ごとに、新しく書き替えねばならぬ苦労は厄介で仕方なかったらしい。


 ある日、そのことを出入りの道具屋に愚痴ってみると、蛇の道は蛇と言うべきか。道具屋は途端に口の端を三日月形に吊り上げて、大観が思いもよらない裏事情を説明しだした。

 


「先生! それは盗まれるのがあたり前ですよ。先生のご自慢の表札を落款にして、先生の偽物を作るために、先生の表札を盗んで、そっくりそのまま木板にするのです。道理で、先生の偽物が多いこと、非常なもんです。へへへへへ」(502頁)

 


 さしもの大観も、これには開いた口が塞がらなくなったという。

 

 

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横山大観『雨霽る』)

 


 詐欺という、より大きな犯罪に資するための表札盗み。この点に於いて、明らかに前二例とはその趣を異にする。


 胸糞の悪くなった大観は、いっそのこと表札を出すのを止めてしまおうかとも思ったが、いざ試してみると想像以上の不便さがあり、やむを得ず東郷と同じ対処法に行き着いた。


 他人の筆を借りたのである。


 伊豆の修善寺の住職に頼み、わざわざ本名の「横山秀麿」で一筆書いてもらったというわけだ。


 それで漸く、煩わしさから解放された。


 盗っ人たちが筆跡の違いを見分けたのか、それとも「秀麿」では世を欺く落款に出来ないからか。真相は永久に分からない。

 

 

新装版 一葉の日記 (講談社文芸文庫)

新装版 一葉の日記 (講談社文芸文庫)

 

 

 

 


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科学と宗教、相克風景 ―ライフリングとサルバルサン―

 

 1547年、ヨーロッパの某所にて一つの実験が執り行われた。


 主導したのはキリスト教系の大司教。このところ世上に姿を現しはじめた命中率のすこぶる高い新式銃の正体が、「悪魔の武器」であることを証明するのが目的だった。


 銃身内部に溝を彫り込まれたその銃は、既存の滑腔式マスケット銃と区別するため「ライフル」と呼称されることとなる。大司教はこのライフルを二挺ばかり用意して、それぞれ特定の弾丸をあてがい、的に向かって二十発ずつ撃たしめたのだ。


 片方にはなんの変哲もない、ごく普通の鉛玉を。
 もう片方には十字を刻み、教会によって祝福された銀の弾を。


 装填させ、轟発させ、立ち込める硝煙が晴れたとき、残った結果に彼は満足を露わにした。


 前者が二十発中十九発の命中弾を生んだのに対し、後者はただの一弾たりとも的に当たらなかったからである。


 教会はこの「実験結果」を根拠とし、ライフルを「悪魔の武器」と正式に認定。その製造を取り締り、違反者には火炙り若しくは生き埋めで以って報いる法令をたちどころに発布した。

 

 

105mm tank gun Rifling

 (Wikipediaより、戦車砲のライフリング)

 


「鉛に比べて銀は硬すぎ、ライフリングにうまく喰い込まなかっただけ」という本来の理由は、むろんのこと無視された。そもそも黒色火薬自体、「悪魔が生み出した」ものとして忌み嫌っていた彼らである。


 神の加護厚き銀の清浄なる効力が、ライフルに籠められた悪魔の力をはねのけたのだ。誰が何と言おうとも、どんな数式を突き付けられても、彼らの中ではそういうことになっているのだ。

 


 中世までの欧州戦史を見ると、野蛮人が何時も文明人を圧倒して居る。併し火器発明以来文明人が野蛮人を滅し得るやうになった。(『梟の目』178頁)

 


 そのように説き、文明に対する銃の功績を称揚した波多野承五郎が一連の話を聞いたなら、さぞや面食らったに違いない。

 

 

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 科学の発展に対する宗教家の反応で、傑作なのはまだまだある。


 たとえば1910年パウル・エールリヒ秦佐八郎サルバルサの合成に成功したときのことである。この有機ヒ素化合物が梅毒に対し特効薬的効果を示すことが知れ渡った際、とある宗派からエールリヒのもとへ、以下の如き書簡が舞い込んだ。


「そも、梅毒なる病気は、放蕩をした者に対する天の制裁に他なりません。これあるが為に、放蕩を欲しながらもその病気にかかることを恐れて罪を犯さなかった者は随分多い」


 顔が崩れ、ときに臓器を停止に追い込む梅毒が、そのじつ天の為せる業だったとは愉快な教義もあるものだ。病原体たる梅毒トレポネーマ君も、さぞかし鼻が高かろう。

 

 

Treponema pallidum

 (Wikipediaより、梅毒トレポネーマ)

 


「然るに今日以後、いくら放蕩三昧に耽って梅毒にかかったとしても、サルバルサンの注射さえ受ければ、ただちに元通り快癒するということになってしまえば、世間の者は悉く立って放蕩の門へ走り出すに決まっています。耽溺しない者は馬鹿だという思潮が席捲することになるでしょう」


 人間に対して、ずいぶんと悲観的なものの見方をするものである。
 こんなやつが聖職者を名乗り、正義人道神の声を大上段から説いたところで、どれほどの効能があるのだろうか?


「だから折角の大発見を全然禁止してしまえとは言わないまでも、ぜひ生涯に一度より、この注射を受けることが出来ないという禁止令を出していただきたいのです」


 エールリヒこそいい面の皮であったろう。

 

 

Paul Ehrlich 1915

 (Wikipediaより、パウル・エールリヒ)

 


 おれは研究者だ、政治家じゃないと叫びたかったに違いない。よしんば行政がとち狂ってそのような規則を設けたとしても、いたずらに闇市場の拡大を招くのは目に見えていた。

 


 神も仏も、時代の流れには逆らえぬものだ。

 


 ついでながらサルバルサンの発見を受け、これまで日本人の梅毒治療を独占してきた草津温泉の人々が、秦佐八郎に苦情をねじ込んだという風聞は、少なくとも私の調べ得る範囲に於いて絶無であったと一言しておく。

 

 

 

 

 


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夢路紀行抄 ―暁美ほむら 対 銀の人―

 

 夢を見た。
 地球を守護まもる夢である。


魔法少女まどか☆マギカの主要人物・暁美ほむらがその能力で時間遡行を繰り返すうち、どういう理屈か地球防衛軍5』世界線へと迷い込み、わけもわからぬまま巨大生物やエイリアンどもと殺し合う――話の筋はこんな具合だ。


 一見突拍子もない話だが、しかしよくよく考えてみると、どちらにも地球外生命体が登場し、おまけに人類に叡智を授けたのは他でもないその異邦人であるという点、両作品の親和性は存外高いのかもしれない。

 

 

Mahō Shōjo Madoka Magika (Logo)

Wikipediaより、「まどマギ」ロゴ) 

 


 魔法少女の身体能力に物を言わせ、ウイングダイバーばりの機動で戦場を疾駆しながら、しかしライサンダーやホーネットという陸戦兵用の火器をぶっ放して廻る暁美ほむらの活躍ぶりは、実に凛々しく息をのむほど美しかった。


 やがて戦局は最終盤、エイリアンたちの総指揮官たる「銀の人」との闘争に至る。


 かの者がコマンドシップの爆炎から姿を現したとき、『まどマギ』側の異星存在に当たるキュウべえが、


「やれやれ、まさか始源十二太祖の一人が来ていたなんてね」


 訳知り顔で、途轍もなく中二チックなセリフをのたまったのがいやに鮮やかに記憶に残った。

 

 

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 闘いは一方的なものだった。


 なにしろかの者――「銀の人」には時の停止が通用しない。


 凍りついた時間の中を意にも介さず乱れ飛び、視界総てが光弾で埋め尽くされるほどの圧倒的波状攻撃を展開してくるかの者に、暁美ほむらは大苦戦を強いられる。流石は地球人類の九割方を殺し尽くした勢力の首魁、そう易々と斃せる相手では断じてないのだ。


 一瞬の隙をまんまと衝かれ、ついに片腕を消し飛ばされる暁美ほむら。このまま逆転の糸口すら掴めずに、むざむざ死骸を晒すのか――絶望が最高潮に達した瞬間、なんたることか、甲高い電子音が鳴り響き、夢はいっぺんに破れてしまった。


 携帯電話のアラームを、これほど怨めしく思ったことは嘗てない。


 今夜の眠りで、完結が見届けられればよいのだが。これまでの経験上、あまり期待は持てなさそうだ。

 

 

 

 

 


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