「一に金、二に金、三に金。金も持たずに、達せられる
政治家としての秘訣を訊かれ、鉄血宰相、オットー・フォン・ビスマルクが即座に返した答えであった。
偉大な政治家は皆
「政治の腐敗する原因は選挙に金がかかるからだ、金の要らない政治を建設する必要がありませう」
政界廓清の必要を強く訴えかけられた際、それ以上の力強さで、たちまち目尻を吊り上げて、
「そんな馬鹿なことがあるものか、みんな金を欲しがるではないか。金を欲しがらない社会を拵へて来い。さうしたら金のかからぬ政治を行って見せる」
瞳の奥から今にも火でも噴きそうな、怒涛としかいいようのない、そういう反駁をやってのけ、馬場を絶句に追い込んだ。
奔走時代はいざ知らず、宰相の座にあずかって以後の原敬は、どうもこの種の青臭い、書生談議と呼ばれるモノが腹に据えかねたようである。
「政治は金なり。
金がないから引退する」
とは、尾崎行雄と相並び、存命中から「憲政の神様」と仰がれた、犬養毅の捨てゼリフ。その犬養の恩師であった福澤は、
「清貧の君子、仁ならんと欲するも仁を施すに術なきことを如何せん。
事の宜しき、之を義と云ふと雖も、借りて返すこと能はず、事の宜しきものに非ざるを如何せん。
多を与へて寡を取る、礼の一端なるも、身窮すれば取るに多を択ばざるを得ず。
知力を有して金力なき者は無智に等しく、
丹心誠に丹なるも金の授受に違約する者は即ち不信なり」
と、金の欠乏を前にして、五常――「仁・義・礼・智・信」――が如何に守り難いシロモノか、吹くだけ虚しい空言へ、どれほど素早く堕ちるかを、実に平易な表現で、さも丁寧に
「文明の世界に仁義礼智信を一抹し去るものは黄金なりと云はざるを得ず。黄金多からざれば人物も人物ならざるのみか、其人物を集めて爰に成立したる国も
人間万事金の世の中、「それにつけても金の欲しさよ」。――
これほど真摯で切実な、いつの時代、どこの国へ行ったとしても通じる叫びはないだろう。普遍的といっていい。絶対に共感を呼ぶはずだ。なんとなれば、金を掴むということは、とどのつまりは全てを掴むということだから。
「貨幣は、その自然の性質上は、単一なるものだが、その効力価値においてはあらゆるものである。なぜなら貨幣は、食物、衣服、家、馬匹、その他人間に必要なものすべてであるからだ。だから、賢者がいうように、あらゆる者がこれに服従する。ひとつのものをすべてのものたらしめる、この発明のために、人間は、自然の本能にみちびかれて、もっとももちがよく扱いやすいものを選びだした。それがすなわち金属である。そして、金属のうちでも、貨幣を作る発明で第一の重要性を与えられたのは、もっとも強く、腐蝕しないもの、すなわち金と銀である。このふたつは、ヘブライ人、ギリシャ人、ローマ人その他ヨーロッパ、アジアの諸国民の間で貴重品にされただけでなく、世界のもっとも僻地に住む野蛮な人々の間でも珍重された」(『新大陸自然文化史』)
アコスタはいい観察をする。
(『GRAVITY DAZE 2』より)
史は読者をしてひっきりなしに「守銭奴たれ」と告げてくる。
大人しく従うのが吉だ。
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