穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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続・大正科学男ども


 ――これからの時代、産業発展の鍵となるのは合理化だ。


 大河内正敏がその信念に到達したのは、明治の末期、私費で挑んだドイツ・オーストリア留学が寄与するところ大という。


 本人の口から語られている、


「工業用アルコールの値段ひとつ比較してもわかることだ」


 と。

 

 

Masatoshi Okochi

Wikipediaより、大河内正敏

 


 当時の日本で最も廉価にアルコールを醸造つくっていたのは台湾であり、これは彼の地が「砂糖の島」であったのと無関係では有り得ない。つまり製糖作業の副産物たる糖蜜を原料にとっているからであり、この糖蜜というもの、製糖業者にしてみれば碌すっぽ使い道のないくせに放っておくと腐敗して、悪臭を放ち胸をむかつかせるという「厄介者」に他ならず、引き取ってくれると言うならばタダでもくれてやりたい位の代物だったわけなのだ。


 そこからアルコールを醸造つくるのだから、


「つまり原料は無代価同然」


 と、大河内は大胆にも言い切っている。一ポンド十銭という日本最安のアルコールの実現は、そのような仕組みであるのだと。


 ところが、である。


 奇妙としかいいようがない。同時期のドイツはジャガイモという、人の口にも家畜の口にも用のある、極めて価値の高い資源でアルコールを醸造つくっているにも拘らず、その価格は一ポンドせいぜい六、七銭と、台湾製を遥かに下回る低空飛行であったのだ。

 

 

Blackstrapmolasses

Wikipediaより、廃糖蜜

 


 この奇妙の因って来たる所以はなにか。


 大河内本人の言葉を借りて説明しよう。

 


「ドイツでアルコール醸造が計画せらるゝと、まづその醸造工場で使用する大部分の馬鈴薯を耕作し得る地方の中央に工場が建てられる。同時に醸造の際生ずる粕を全部消費するに足るだけの養豚場が工場の周囲に建てられる、醸造の際生ずる芋の粕で豚を養ひ、又畑から出る馬鈴薯の葉でも茎でも、それぞれ皆豚の飼料に供せられて、一物の廃品になるものはない。そして養豚場は又馬鈴薯畑の肥料の一部を供給し、或る場合には醸造の際生ずる炭酸ガスまでも畑に導いて肥料とする。
 豚の肉は生のまゝで或ひは加工して市場に供給され、毛、革、骨、血その他すべてのものが工業の原料となる。ゆゑに当初の目的であったアルコール醸造は副産物の形となって、その生産費は著しく低下される。斯くの如くして有価の原料を使用しても無価の原料を使用するよりも廉価になるのである

 


 何事につけても無駄のない、「理路整然」を地でゆくような堅牢なるゲルマンメソッド。


 昭和に入れば「能率」の二字も日本社会に溶け込んで、多くのことの説明をずいぶん楽にしてくれるのだが。どっこい、あいにく、上の文章が物されたのは大正時代のことである。


 従って大河内正敏も、便利至極なこの二文字をどこにも挿入していない。


 が、訴えんとするところ、要旨は同じであったろう。

 

 

(ドイツの街角)

 


 大河内はまた、人造絹糸――レーヨンにも、かなり早くから目をつけていた。

 


「米国における人造絹糸の生産は、戦前の大正二年には僅に百十八万斤に過ぎなかったが、十年後の昨年には二十倍以上に激増して二千六百八十三万斤に達してゐる。しかも価格は大体において生糸の三分の一である」

 


 大正二年の・十年後を・昨年と書いている以上、同十三年の筆致であるのは明らかだ。


 この急成長を前にして、彼はにわかに不安になった。


(人造繊維が天然繊維を圧し拉ぐ日が、遠からずして来るのでないか)


 そう、人造藍の発明が、天然藍をほぼ窒息へと追いやったのと同様に――。


(そのとき日本は、いったいどうなる)


 どこを向いても、桑畑と水田ばかりが広がっているこの国は。


 想像するだに物狂おしいことだった。このまま生糸をのんべんだらりと基幹産業に据え続けようものならば、それこそ祖国はみずから望んで累卵の危うきに立つ破目になる。大河内は焦慮した。焦慮が彼の筆先に、ある種の鬼気を宿らせた。

 


「日本は、おくれ馳せながらも、速に人絹の科学的研究に熱中し、世界のそれよりも更に一歩進んだ人絹を日本において製造し、遂には世界の人絹工業の鍵を握る覚悟が必要である。それが徹底的に敵を圧倒し去る唯一のみちである。
 わが国の農村の死命に関し、経済界、貿易界の浮沈を左右する人造絹糸に対し、この覚悟、この決心がなくて何とする。
 日本の科学者は死力を尽して人造絹糸の研究に没頭し、国家は幾千万円の国帑を費やしても、その研究を助成せねばならぬ

 


 猛然と呼ぶに相応しい、圧倒的な熱量の放出されたあとだった。


 危機感は叡智の源である。大河内の先見の明は凄まじい。大正の御代の時点で既に彼のアタマの内部には、「技術立国日本」の理想が凝然と横たわっていたのであろう。

 

 

 

 

 


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