余談として述べておく。
度を越して過熱した欧化運動、その分かり易い例として、明治十二年一月の日枝神社を挙げておきたい。
同月十五日付けの『東京日日新聞』紙を按ずるに、
「今十五日は日枝神社の月次の祭典なるが、神楽は我が神代より有り触れたるものなれば、もはや神慮にも
こんな報道が見出せるのだ。
ざっくばらんに噛み砕かせてもらうなら、
「雅楽なんざ時代遅れだ」、
「しょせん旧世代の遺物、この新たなる聖代にいついつまでも生存させる価値はない」、
「これからは八百万の神々もよろしく洋楽を嗜みたまえ、高みにまします方々も、笙や琴の音色には、正味飽き飽きしておられよう、まず手始めにウチが先鞭をつけてやる」、――まあ、このあたりが妥当であろう。
如何に日本の神々が同化能力に長けてはいても、この註文はどうだろう、流石に
明けても暮れても西洋、西洋。ひたむき一途な傾倒ぶりは、いっそ媚態と呼びたいような、淫らがましさすら帯びて。本来西洋文明の導管役を担ったはずの福澤諭吉をしてさえも、
「学問も西洋、法律も西洋、宗旨も風俗も悉皆西洋と心酔するときは、遂には国を挙げて之を西洋人に授け其支配を受るに至らん。今の西洋家を称する者は即この者なり」
斯くの如き嘆息を吐かせているから大変である。
なんといっても『西洋事情』を著した男が、お前らちょっと冷静になれと水をかけて廻っているのだ。
(Wikipediaより、西洋事情)
明らかにただごとでないだろう。当時の社会は、よほど均衡を欠いていたに相違ない。そういうことを推知する。した上で、前回の記事は作製させていただいた。
以上、些細な余談であった。
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