どうも近ごろ、夢を見ない。
もしくは、見てもすぐに忘れてしまう。
今朝方からしてそうだった。何か、長大なドラマの展開を目の当たりにした感じがするが、さてその詳細はというと、言葉に詰まらざるを得ぬ。
唯一はっきり憶えているのは、『彼岸島』の主人公――不死身の男宮本明がだだっ広い草原で、ゴーレムの群れと戦っている情景だけだ。
そのゴーレムというのも『ドラクエ』シリーズに出てくるような直線的なヤツでなく、もっとこう、曲線多めで丸みを帯びた、ずんぐりむっくりしている感じの、そう、『ダークソウル』で廃都イザリスに犇めいていたデーモン像にこそ近い。
いったいなんだってそんな奇天烈な取り合わせが実現したのか?
惜しいかな、前後の脈絡は消失している。
指でこめかみを揉みほぐしても、とっかかりさえ掴めない。
これもまた、連日やまぬ
さて、せっかくこうして久方ぶりに夢日記を紐解いたのだ。
もう少しなにごとかを書き加えたい衝動がある。
私自身から捻り出すのが不可能ならば、古人の記述に依るまでだ。その昔、十九世紀ヨーロッパの一隅で。バウル・リヒテルなる碩学は「天才」と「夢遊病」との間に神秘的な繋がりを見出し、ほとんどメンシス学派を思わせる、高啓蒙な文を遺した。
曰く、
天才は多くの点に於て真の夢中遊行病者である。天才は其の青ざめた夢の中に、覚めてゐる時よりも遥かに遠方を見る事が出来る。そして真理の頂きに達するのである。幻想の世界が消えると共に、彼は卒然と絶壁から現実の谷間に墜落するのである。
日本語訳は医学博士の佐多芳久。
大正時代の研究雑誌、『変態心理』に掲載された一節だ。
青ざめた夢、青ざめた月、青ざめた血の空。むろん偶然の一致だろうが、しかしヤーナムの夜を彷徨い尽くした身にとって、これは戦慄するに足る。思考の瞳の実在を、つい信じたくなるではないか。
あともうひとつ、木下邦子のインタビューにも触れておこう。
彼女は福岡生まれの女流画家。大正十年、齢十七で上京し、和田三造の門下に入り腕を磨いたこの人は、あるとき『萬朝報』の記者に対して以下の如く説いている。
私の芸術は全く夜の芸術です、私の画を描く時は決して外界の事象に刺戟されてではなくて、殆ど私の不思議な幻覚からばかり生れて来るのです、私は真夜中が好きです、物皆が寝静まった頃になると、私は虚空を見つめてからパレットを執ります、ある晩私は自分の心臓を描いてみました。それはそれは真赤ないゝ色でした。速い血液も其まゝに描写されたかのやうに思ひました。
(Wikipediaより、和田三造の作品)
眠りに落ちてはないものの、現実の輪郭がぼやけるような名状し難い
エログロナンセンスが風靡した大正時代の雰囲気が、そこはかとなく伝わっても来るだろう。ああ、脳漿が素敵に揺れる。
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