穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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老練百智のブリティッシュ


 こと諜報の分野にかけて、英帝国は玄人である。


 何故こんな事を知っているのか、何処からソレを掴んだか――。


 いっそ魔術的とすら謳いたくなる暗中飛躍は舌を巻くより他なくて。――日本の古い仏教系新聞に、あの連中の底知れなさを仄めかす記事が載っている。

 


「岩倉公が先年英国に赴かれし時、同国女帝が日本の経典を好まるゝ由を聞かれ、帰朝の後一切経を送られしかば、彼の国よりも種々の珍書を同公に送られしが、今度又同国より、我邦古伝の貝多羅梵莢を写し贈りてよと請ひ来りしかど、南都法隆寺より献ぜし物は正倉院の勅封中にて間に合はず、其他は何れにあるか詳かならねば、右大臣より西京妙法院住職村田教正に依頼され、心当りの寺院もあらば捜索して写し贈られよとの事に付、同教正は天台真言の諸教生に謀り、江州坂本来迎寺の所蔵のものを写し取るべき手筈なり」

 


 明治十三年七月の『明教新誌』が報せたものだ。

 

 

浅草寺にて撮影)

 


 ヴィクトリア女王が仏教に深く関心あらせられたと、この段階でもう既に驚くには足るのだが、続く内容はどうだろう。


 正倉院以外には写本さえも存在するかわからない、岩倉具視ほどの男がその人脈にモノを言わせてやっと確報を得るような、非常に古くまた珍しい経典を、そもどうやって知ったのか?


 態々名指しで註文してきている以上、概要程度は把握済みと見るべきだ。目星はちゃんと付けている。だが、繰り返すが、どうやって? 日本人ですら九分九厘までは聞いたこともないような、そんな秘宝の情報を、連中何処から嗅ぎつけた?


 これだから英国紳士はおそろしいのだ。

 

 

ウィンストン・チャーチルとラムゼイ・マクドナルド。代表的「紳士」たち)

 


 なお、ついでながら記しておくと、和暦明治十三年、西暦にして1880年というこのとしは、女王陛下のお膝元、ロンドンの骨董品店に「孔子のドクロ」が現れて、漢学者どもを狼狽せしめた時節でもある。


「おやじ、由緒は?」

「よくぞ訊ねてくだすった」


 さるアロー戦争のどさまぎ・・・・に、円明園からかっぱらった品である――と店主は説明していたが、真贋のほどは、実に怪しい。


 どうせ偽物だったろう。


 源頼朝に文覚上人が見せつけた、「御父君の頭蓋」とやらと似たり寄ったりな代物だったに違いない。


 ただ、孔子の方の・・・・・ドクロには、大小無数の宝石がとりどりに散りばめられていて――そういうところが如何にも虚喝的であり、いかがわしさと言うべきか、ニセモノ感を増すのだが――、これを剥がして一個一個売ったあと、残った骨に二束三文の捨て値をつけて陳列されてあったのだとか、なんだとか。

 

 

Looting of the Yuan Ming Yuan by Anglo French forces in 1860

Wikipediaより、円明園の掠奪)

 


 十九世紀大英帝国、紛うことなき世界の中心。


 であるがゆえに彼の地には、浮世のすべてが集まった。必然として奇談珍話の類をも、ひっきりなしに生産せずにはいられなかったと、つまりはそうした道理ワケだろう。

 

 

 

 

 


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