「空気」と「爆発」ほどでなくとも、「災害」と「虚報」の相性も、到底笑殺しきれない、頗る上等なものである。
天変地異で社会がみだれ、安全保障に揺らぎが生じ、大衆心理が不安へ不安へ傾きだすと、根も葉もない噂話がまるで梅雨時の黒カビみたく猛烈な勢で伝播する。過去幾度となく確認された現象だった。
(Wikipediaより、虚偽報道の風刺画)
大正十二年九月一日、関東大震災突発の時。たまたま何かの用向きで国の外へと赴いていた日本人の、実に多くが、この乱れ飛んだ虚報のために血の気を失い、顔色を紙より白くした。
くだんの早稲田大学教授、煙山専太郎なぞもまた、その一員に数え入れていいだろう。
この人は、ブカレストに居た。
ルーマニアの首都である。
街の空気は陰鬱で、男女の風紀は乱れきり、役人が賄賂を希求すること、水銀が黄金を慕うにも似た露骨さという末期的様相を呈していたが、それについては今は措く。
以下、煙山の紀行文、『再生の欧米を歩く』から、震災報道に的を絞って抜き出すと、
「…九月三日のユニヴェルセル新聞などは、一頁大の号外を出した。その第一信には、死傷十万、伊東全滅、東京浅草十二階の倒壊などを伝へたが、次のしらせでは、伊東が水戸になって居り、江ノ島の没入、東京から大阪までのすべての町の破壊、横浜の大災害、宮中の大損害などがつらねられてあった」
「九月六日のブカレスト新聞の電報には、松方公の死、高橋是清氏と二十人ばかりの政客との圧死、熱海、伊東、横須賀、横浜の大破壊、横浜外人の大部分の遭難、飛行機から見た東京は、満都、火に蔽はれてること、食物の欠乏のため大騒乱起り、兇徒、山本首相を刺さんとしたること、死傷者無慮三百万に及ぶことなどがならべられてる」
なるほどやはり並々ならぬ誇張が見える。
(当時のルーマニア外務省)
言うまでもないが高橋ダルマも公爵松方正義も、ちゃんと虎口を逃れてる。
地震では死ななかったのだ。
山本権兵衛暗殺も然り。江ノ島沈没に至っては、いったい何処からこんな風聞が湧くのであろう。想像力の玄妙さとでも言っておくより他にない。
もっともすべてが偽りともまた言い切れず、東京が火の海になったこと、横浜の受けたダメージが壊滅的であったこと、死者・行方不明者が十万人を超えたこと、これらはほぼほぼ事実であった。
「七日に聞いた話では、帝国大学を始め各大学もつぶれてしまったとある。災害の恐ろしさは、只々、大きくなって行くばかりだ。兎も角、骨肉近親を罹災地方に持ってる行旅の輩には、彼等が愛するものゝ全滅を覚悟してかゝるより外はなかった」
他人事みたく突き放した筆致だが、煙山とて「骨肉近親を罹災地方に持ってる行旅の輩」のひとりたるを失わぬ。
胸底ひそかに堪えていた心細さときたらもう、狂を発する手前ですらあったろう。縄で脚を縛られて、暗い夜の山中を引きずり回され続けるような物凄さを感じていたかと思われる。
(Wikipediaより、震災後の横浜中区)
彼が家族の無事につき、確報を受け取るに至るのは、ざっとこれより一月半後、ベルリン入りして漸くのこと。
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