あとで聞いた話によると、地面が揺れて半刻ほどもせぬうちに、もう家財道具一式を大八車に積み込んで、雲を霞と安全地帯へ避難した途轍もない「利け者」が神田辺には居たらしい。
そいつの家には旧幕生まれの老人が猶もしぶとく生きていて、第一震を感じた瞬間、
(こいつはまずい)
絶対に大変なことになる、今日の夜には東京全市が火の海だ、留まっていては死ぬるのみ――と、脳天に電極を刺された如く、鮮やかに確信したそうな。
(八丈島の牛)
「急げ、逃げるぞ。もたもたするな」
口角泡を飛ばしつつ、ときに擂粉木で息子の尻をぶったたき、老人は家人に支度を強制。
(因業じじいめ、とうとう物に狂うたか)
不満に唇を曲げつつも、命令通りに動かざるを得なかった。
だがしかし、結果的にはその惰弱さが、彼らの
――そういうことを、大震災ですべての家財を灰にした、辻二郎が書いている。
(Wikipediaより、辻二郎)
この人は当時、浜松町に腰を据えていたようだ。
今の港区住民である。
不幸にも、と言うべきか。彼の家には預言者めいて勘冴える、老爺の用意はなかったらしい。夕刻、火の粉が舞いはじめるまで、べつだん用意もせずにいた。
結果、着の身着のままで芝公園まで逃げる破目になっている。
そこから天に沖する猛炎を見た。
(なんと壮観な)
自分の家をも薪の一個とされているにも拘らず、
その美の下で何百、何千、何万という人間が最大級の苦痛を味わい死んでいるにも拘らず、
如上の悲愴一切を重々承知しているのにも拘らず、
辻はその火に魅入ったという。
感動とは、ときに暴力に似るのであろう。理性も倫理も薙ぎ倒し、問答無用で人を慄え上がらせる。
「…あまりの美しさに嘆声を洩らしたら、すぐ隣の芝生に避難してゐる人が『ビールはどうです』と云ったのに驚いた。『私はこんな物は飲めないんで、誰か飲んで下さい』と云ふので二度びっくりした。此人はどう云ふ心算で自分では飲みもしないビールを持って避難して来たのかは、十五年後の今日まで未だに了解出来ない事の一つである。只自分達の家の焼けて居る火を見ながら、見ず知らずの隣人にビールをすゝめる、まるで宴会で隣の人にお酌をする様な語調でビールをすゝめる此人の気持は、其時の雰囲気からわかる様な気がした。そしてこの『諦め』と『諧謔』は日本人の短所で同時に長所ではないかと思ふ」
昭和十三年の震災記念日――今の言葉で「防災の日」に、辻が起こした回顧であった。
なるほど確かに、燃えたものは仕方ない、泣いたところで死んだやつは還らない。
めそめそと、いくら涙に濡れてみせても、効果はしょせん魂の活力を弱らすのみで現実はマシにならぬのだ。ならいっそのことアナトール・フランスの
差し出された瓶ビール。微笑と共に受け取ると、辻はそいつをラッパ飲みにしたという。
喉にて爆ぜる泡の味。その痛快さときたらもう、筆舌の能くする範囲ではなく。
「あんなにうまいビールはなかった」
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