穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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続・屠殺街 ―肉食系の中心地―


 不思議なものだ。


 日本で過ごしていた頃は油絵を長く観ていると陶酔よりもくどさ・・・を感じ、濃厚すぎる色彩に胸がむかつくばりであった。


 ところがひとたび海外に出て、獣肉を常食にしてみたならばどうだろう。

 

 

 


 かつてあれほど不快に感じた油絵が、まったくしつこく迫らない。水彩画同様、なだらかな心地で受け止められる。容易ならぬ変化であった。食生活とは、美的センスの上にまで影響するものなのか。仮名垣魯文が明治五年にしたためた、

 


「人生健康ならざれば報国の志よわく、年歯長生ならざれば勉励の業強からず。健と寿の二つを保つや所謂命は食にあり

 


『西洋料理通』序文に於ける一節を想起せずにはいられない。日本でもし油絵の発達を図るなら、食生活から根本的に変えてゆかねばならないか、さもなければ油絵をまったく日本的にしてしまうかの二択であろう――。


 こうした意味の提言を、岡本一平が行っている。


 世界一周旅行を通じ、現に体験したところから発表されたものだった。


 もっともそういう、――つまり肉食の効果によって油絵に慣れた岡本とても、その産地・・シカゴの大屠殺場に足を踏み入れた際に於いては、血の池地獄もかくやとばかりの阿鼻叫喚の凄愴ぶりに、白眼を剥きかけてはいるが。

 

 

 


 この漫画家には、人体解剖の経験がある。

 

 いつに始まり、いつまで続いた伝統かは知らないが。――岡本一平の時代には、美術学校のカリキュラムの一環としてその人体解剖実習が組み込まれていたらしい。


 少壮時代の岡本も、教諭に連れられ医科大学に出向いて行ってそれ・・をした。


 学問に貴賎なし。学校同士の麗しき融通の利かせ合いである。


 お蔭で岡本一平「死人の赤い肉や黄ろいあぶらを」たっぷり観察することが出来、以後三日ほど菜食主義を強いられた。

 

 

Tokyo school of fine arts 1913

Wikipediaより、東京美術学校

 


 嫌悪、戦慄、嘔吐感。あれやこれやがよみがえる。大屠殺場の光景が岡本一平の頭脳から、古い忌憶を引き摺りだしていたわけだ。

 


「…屠殺される獣から出る甘臭い臭と血のなまぐさい臭とが鼻について、とても当分は肉の洋食は喰べられそうに思へなかった。俺ばかりでは無い仲間も同じらしかった。それを知って乍ら案内者は皮肉にビフテキを取寄せたものだ。するとあんなに胸を悪くして居た仲間はみんな痩我慢してぐいぐい喰べた。俺も無理に喰べた。ストックヤード見物の為め胸を悪くしてビフテキが喰べられなかったといへば旅行中は勿論、日本へ帰ってからも一生笑ひ話にされる。それが嫌なのだ(『世界一周の絵手紙』)

 


 馬鹿野郎の群れである。


 だがしかし、こういう馬鹿は嫌いではない。


 見栄のためなら、男は割とよく死ねる。死ねてこそ男ではないか。況してや生理に抗う程度――。


 小田久太郎に欠けていたモノ、時代の主流、エログロナンセンスがここにある。絢爛と光輝いている。

 

 

 

 

 …なに、グロいのとナンセンスなのは認めるが、エロスは含んでないだろう?


 もっともな指摘だ。では仕方ない、

 


「聞いた儘を書いて置くが、米国のある市の秘密のカフェでは酒を満たした大硝子壺に裸体の女を漬け、その酒を周囲で酌み分け飲むで興がってるそうな。米国は染め付けの更紗模様だ。表と裏は大した相違」(同上)

 


 この小噺を、最後に付け加えておこう。

 

 

 

 

 


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