穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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奇妙な肉の舌触り

 


「…頬は唯々筋肉のみから出来て、笑窪さへなければ、奈良の三笠山の様な平凡極まるものでありますが、例へば庭園の芝生と同じ様に、之が広いか狭いか、又どんな形をしてゐるかゞ目、鼻、口等の道具を引立てるか、見殺しにするかの、重大なる役割をするのであります。…」

 


 高田義一郎の講演集的著作たる『人体名所遊覧記』をこのあたりまで読み進めたとき、突如として筆者わたしの脳裏にネオンサインの燈るが如く、はっきりくっきり鮮明に浮かび上がったものがある。


 スマトラ島の輪郭だった。


(そういうことか)


 深く合点がいったのである。

 

 

ID - Sumatra

Wikipediaより、スマトラ島。赤く着色された部分)

 


 面積473600平方キロ、赤道直下に横たわり、大スンダ列島を構成し、その広きこと世界六位の巨島でもあるあの地には、二十世紀に突入してなお未だ奥地に人食い部族が蠢いて――、うちの一人が告げたのだ、


「人の身体でとりわけ美味い部位というのは、なんといっても頬肉だ」


 このような意味のことどもを、フィールドワークにやって来ていた人類学者に、衒いもせずに直截に。


(これは貴重な証言だ)


 と、学者は急いで書き留めた。


 彼の言葉は理に適っていただろう。


 肉というのは大概にして、よく動いていた部位ほど美味い。感情表現の一環として、頬は実によく動く。ふつうに生活しているだけでも、どんどん鍛えられてゆく。加えて冒頭に掲げた通り、筋肉のみから出来ていて、小骨一本も含んでいない。種無し巨峰の食しやすさだ。これで美味くなかったら、それこそ嘘であったろう。――こんな具合いの納得が、つまり瞬時に去来したのだ。

 

 

巨峰

Wikipediaより、巨峰)

 


 次いで小田久太郎のことを思った。


 あの三越専務の紀行文にもそういえば、人食い部族に触れた箇所があったな、と。

 

 

「…紅海もいよいよ出口に近付いて、所々島嶼を見る。ソコトラといふ小島、かなり大きく英領で食人種が居ると。食人種が人を喰ふのは何の為めかといふと、別に嗜好の為めではない。之を喰ふと一人力が二人力にもなるといふ迷信だからださうだ」(『商心遍路』)

 


 これきりである。


 だいぶ短い。

 

 

Socotra Archipelago

Wikipediaより、ソコトラ島

 


 シカゴの土を踏みながら、くだんの一大屠殺場――「悲鳴以外のすべてを活かす」と謳われるほど合理化された施設に対し、しかし一片の興味をも抱いた形跡がない点といい、小田久太郎という人は、どうもいきものの臓腑とか、血液とかリンパ腺とか、所謂「中身」をのぞきこむのを性格として嫌っていたフシがある。


 山東省は鄭州に足を踏み入れた際に於いても、

 

「もう三日四日みっかよっか早ければ馬賊の首見物れたのですが。支那の兵士にとっ捕まって、裁判抜きで即処刑、打たれた首が五つほど、そこな電柱に掛けてあったわけですよ。いやあ惜しいことをしました」


 現地住まいの日本人から妙な愛想をつかわれて、


(べつに惜しくもなんともない)


 と、内心にがりきっていたあたり、裏付けとして十分である。


 そういう意味では、現代よりな性情だったのではないか。

 

 

(とっつかまった馬賊ども)

 


 エログロナンセンス全盛に向かう世の風潮に反撥し、局外に屹立、超然たらんと欲す者。小田久太郎を想うとき、どうにもそんな印象がむらむら湧き上がってくる。

 

 

 

 

 


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