穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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タイプライター全盛期 ―三越専務の見たシカゴ―


 紀行文は好きなジャンルだ。


 旅はいい・・。自分でゆくのは当然のこと、他人ひとの話を謹聴するも、また楽し。


 最近読んだ部類では、昭和六年刊行の『商心遍路』がまず秀逸な出来だった。


 著者の名前は小田久太郎。浮世の肩書き、三越専務。三井王国の押しも押されぬ驍将である。そのあたりの背景に、まったく適ったタイトルだろう。

 

 

 


 昭和四年の十月十一日である、小田久太郎が日本を離れ、世界一周の大旅行へと乗り出したのは――。


 乗船したのは「浅間丸」、郵船会社の新造船。ペンキの塗りも初々しいカワイ子ちゃんの処女航海に便乗する格好だった。


 まず第一に目指すのは、北米大陸西海岸、サンフランシスコの港湾である。


 船首にたたずみ、太平洋の波濤を脚下に見下ろして、照る陽にたっぷり浴していると、小田久太郎の神経は一種瞑想的な作用を来し、従って眼窩の奥底で、数多の想念、感慨が、入れ替わり立ち代わり輪舞するのだ。

 


「昔は是丈の大洋を通過するは、実に容易の事でなく、彼のマゼランの最初の世界週航を初めとして、真に命懸といふよりは寧ろ犠牲に終るべき運命を持て居った事業が、今は鼻唄処ではない食糧品は肉も鳥も魚も野菜も、何一つ不足なものはなく、料理もどうかすると陸上よりも上等で、昔長時の航海に野菜が尽きて、乗員は壊血病に罹ったなどは、考へる人もなく(中略)、一片の旅愁だに感ぜないのは、文化の余慶とは云へ、現代人は実に仕合者と言はなければならぬ」

 


 この程度なら誰のアタマにでも浮かぶ。


 ちょっと歴史に興味があって、水準以上の教育を受けた者なら、誰にでも。

 

 

Magellan-Map-En

Wikipediaより、マゼラン艦隊の航路)

 


 小田久太郎の独創性はここからだ。過去から現在いまを眺めた彼は、「併し尚茲に考へられるのは」との書き出しに沿い、視点を更に遠い未来さきへと延長し、自分自身の姿をも歴史上の点景として鳥瞰せんと試みる。

 


「先頃東京へ来たツェッペリン飛行船見た様な物が、今後益々発達して、太平洋も一日か二日で飛び渡れる様になったら如何だらう、今日の十五日も掛る航海は、又々蒙昧時代の気の長い事業として笑はれるだらう。只茲に一つ困った事は、さうなった場合に此の世界が如何にも小さすぎることだ。
 船から見てさへ、視界の及ぶ処は僅かに二十哩位、是は視力の及ばないのではない、地球の円みの為めに見えないので、それ丈でも幾分悲観の材料なのに、まし日二日で太平洋が渡れるとなれば、此世界は更に一層縮小する訳で、其の時には星の世界へでも行く工夫をするのだらうが、夫が今から心配だ

 


 航空時代の到来と、そこから更にもう一段向こう側、宇宙開発の世紀をも、半ば冗談交じりといえど言及してのけている。


 先人たちの想像力の搾り汁、わけてもこうした「未来予測」は大好きだ。


 智嚢のいちばんイイトコロを使ったような、実に奥深い味がする。


 採点者めいた優越感を堪能できる所為でもあろう。


 解答こたえを既に知っているという特権に大胡坐をかく心地よさ。


 我ながら呆れた人間性ひくさだが、魂レベルの趣味嗜好に抵抗しても何一つとして得はない。


 こういう自分と死ぬまで付き合い、悦ばせてやるのみである。

 

 

 


 サンフランシスコ上陸後、小田久太郎は有名どころを巡りつつ、合衆国を徐々に東へ移動うつりゆく。


 シカゴの街にも、彼は足跡を印していった。


 しかし例の屠殺場は、「見る必要も別になし」とのすげなさで近付こうともしていない。


 その代わり――と言ってはなんだが、現金輸送車は確と見た。


 ほとんど戦車さながらに、装甲板でガッチガチに固められたクルマを、だ。


 強盗に対する備えであった。

 


主なる銀行には機関銃が備付けてある。ホールドアップは此国の名物だが、其内でもシカゴは本場といってよい。此市の一番賑やかなステート・ストリートや、又通常淋しい湖畔などで、度々やられるさうだが、夫は小泥で、大きなのは銀行のプレジデントを圧へ付けて、何万何十万の要求をなし、短銃ではもう物足らず、機関銃を突付けて脅迫する。或は活動や劇場のハネを待って躍込み、其日の上り高何千弗を強取するなど、猛烈なもので、之を逮捕せんとする警官も亦機関銃を用ふる等、何れも是は已むを得ぬ趨勢である」

 


 This is Americaと、何故か大声で叫びたくなる。

 

 

(『fallout4』より)

 


 シカゴ・タイプライターなんて言葉を生んだ淵源を、目の当たりにするの思いだ。


 屠殺場に近付こうが近付くまいが、結局シカゴは腥風と縁の切れない街だった。

 


「是等が米国式の大きい処といへば、此国の崇拝者には矢張有難く感ぜられるのであらう」

 


 小田久太郎の筆鋒はあくまで洒脱に、現実を痛快に割り切っている。

 

 

 

 

 


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