芝東照宮へ参詣したあと。折角ここまで来たのだからと、しばし
で、芝公園の隅の芝生に見出したのがコレである。
横の看板には、「災害用マンホールトイレ」と記されていた。非常の際には蓋を開いて便座を据え、テントか何かで囲いを付ければすぐにトイレとして機能するとか。
災害によって電気・水道・ガス等のライフラインが麻痺せしめられ、水洗トイレが流れなくなり、屎尿処理に大苦労した過去の惨憺たる経験から発想されたものらしい。尾籠なれど、人間にとって紛れもなく一大事である以上、こういう備えは頼もしかろう。
そこでふと、思い出した。そういえばこの近くの赤羽橋は昭和の昔、東京市内最大の人肥集積所として機能していたということを。――
浅草厩橋下の配船所から送り状を受取った肥船が市内の水道橋、万世橋、駒形橋、赤羽橋などの橋のたもとへ、積み取りに行く。赤羽橋は市内最大の肥料集合所で、念入なのは品川台場廻り。積み取った上は隅田川の川上各向け先きへ直航する。船は汽船六隻、モーター四隻、てんま四十四隻、すべて東京市長に配属するものである。(昭和四年発行『経済風土記 東海関東の巻』299頁)
各家庭にはそれぞれ個別に契約してる
それだけでこれほどの量になるとは、人間の生理機能のたくましさときたら、いっそばかばかしいまでである。
ついでながら輸送先最大のお得意様は埼玉県の県農会で、一日五百石、樽数にして千二百五十樽、一年十八万石の下肥を、東京市役所から格安に卸してもらっていたとのことだ。
二位たる千葉県農会の二百石に倍以上の差をつけて、不動の一位として君臨していたものである。
(川瀬巴水 「越ヶ谷の雪」)
土地が人を育むというが、この埼玉県から田中栄八郎が踊り出て、大日本人造肥料取締役兼日東硫肥会長としていっとき日本肥料界の覇権を掌握したというのも、蓋し納得のいくことだろう。
とまれ、そうした背景を持つ赤羽橋のすぐそばに、こうした一種奇抜なマンホールがある。
暗号の妙に頷かざるを得なかった。
更に足を延ばして増上寺を見る。
改修工事を行っていて、なんでも屋根瓦をチタン製に葺き換えるらしい。
――伝統の形骸に欺かるるな。伝統は流転の運命の上に生命を保って行くのだ。新という字を頭につけない伝統の復活はない。
斯く道破した漫画家の泰斗、岡本一平が聞いたなら、さてこそはと膝を打って褒めたろう。
少なくとも「昔ながらの瓦でなくては味がなくなる」云々と、窮屈なことは言わなかったに違いない。いい試みだと私も思う。
その増上寺の裏鬼門を封じているのが、こちら円山随身稲荷大明神。
江戸の都とはまあなんと、風水の理念に則って建設されたものであろうか。いっそ執拗なばかりの入念さの一端を、この社から感得する。
「奉納」の上の小天地。わるい眺めではない。苔むして蔦の絡んだ人造物は、むしろ好みだ。
近寄って写真を撮影すると、鳥でもいたのか、そばの繁みががさりと揺れた。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓