新聞が権力の監視者などという戯言は、いまどき小学生でも信じていない。
その正体は、カーライルがとうの昔に喝破している。彼は古代から続く権力の推移を帝王、貴族、僧侶についで新聞に至ったと規定して、これを第四帝国とまで呼称した。
イギリスの詩人にしてデザイナー、「空想的社会主義者」ウィリアム・モリスは新聞をして「アルコール以上に危険なもの」と指摘したし、やはりイギリスの、「好戦的な狂犬」ウィンストン・チャーチルは、
「近代生活に於いて、最も重要なる作用を為しつつある新聞が、その本来の範囲を超えて、国家を支配せんと企て、政党首領に向かって政策を指図し、或いは閣員選定の権利を要求するが如き態度に
と、「第四帝国」の勢力伸長を牽制する演説を派手にぶちかましている。
そういえばビスマルクなども、「ヨーロッパの平和を得るためには、一ダースもの記者の首を斬らねばならない」と言っていた。
彼らの観察は正しい。
とうに明らかにされたこの事実を、しかし日本の新聞は未だに知らぬふりをして、ぬけぬけと「国民の代弁者」「権力監視の眼」を気取っている。その醜は覆うべくもない。
自分達マスコミが隠然たる権力者なりと自覚して、その上で社会とどう関わって行くのが互いにとって最も良い在り方かと考えることが出来ていたのは、私の知る限りに於いて、杉村楚人冠と本山彦一ぐらいのものだ。
(Wikipediaより、本山彦一)
本山彦一。
號は松蔭。
大阪毎日新聞社長時代に東京日日新聞を合併し、今日の「毎日新聞」の原型を作った、同社にとっての中興の祖。
この男が晩年に、可愛がっていた澤村幸夫なる記者に対して手ずから書いて与えた八箇条の『新聞記者座右銘』は、およそジャーナリズムに関わらんとする総ての者が、等しく魂魄に刻み込むべき必読の書だ。
私はこれを、澤村と親しくしていた下村海南の著書にて知った。以下抜粋。少々長いが、敢えて全文を掲載する。是非味わってみて欲しい。
一、新聞は新聞なり
二、公益を思ひ私情を棄てよ(公益を念とし公平の心を持し筆を曲げざるは勿論、私情私欲を棄てざるべからず、仮にも新聞を以て威嚇又復讐的の言動をなすべからず)所謂コハモテにて往々現代に於て此実例あるを見る、
三、思想は高尚に文章は卑俗に(記者の筆を執る其思想は可成高尚にして社会を指導し、其人格も崇高なるを要すれど、新聞紙に発表するは可成卑近にして俗耳に入り易からしめ漸次読者をして向上感化せしむる事、記者の職務の一なるべし)
四、富者強者貧者弱者に媚びるな(人間は平等なり。富者強者に媚びざると共に、貧者弱者にも同じく媚を呈して、若しくは人気取りを勉むるは君子の恥る所なり。強を抑へ弱を助くるは之を侠気と称し自ら任じて誇りとする者あれ共、是れ封建制度の下にて富強者の横暴を極めたる時、時弊を矯むる(二字欠落)素より公平なる処置にあらず、今日此根本的解決ある時に
五、小事をも大事と見よ(是れ針小棒大の意にあらず、如何なる小事にても決して之を軽視すべからず。自分に小事と思ふも世間にては案外大事と見る事あり、又小事もイツ大事件となり爆発するも知れず。各般の事業に関係する人にあっては特に注意を要す。其故に記者も決して注意を怠るべからず。特に経済に関して。銀行の取付けや米騒動の如き是れなり)
六、耳目よりも脚を使へ(新聞は飛耳長目によって大に発揮せらるるも、只耳目のみにては不可なり、自ら脚を以て広く駆け廻り自ら見聞するにあらざれば適切ならず。
七、多く集めて少く出るは編輯記者の資本なり(材料は可成多く集めて、各方面各種類のものなるべく、而して之を精選して少く取る時は、新聞の出来上りたる時大に光彩を放ち有益有効あり、若し材料少くして掃き集めたる新聞は、実に淋くして見るに堪えざるものなり。編輯整理者は此要訣を知らざるべからず)
八、多く人を知り深く人に知らるるは訪問記者の資本なり(訪問記者は多く人を知らざるべからず。只人を知るばかりにて人に知られざれば真実に話をして呉れる者なし。随いて訪問記者の職務を全くすること能はず―
(昭和十年発行、下村海南著『プリズム』101~103頁)
この中で、特に「四」が面白い。その通りだとも、富者強者に媚びる記者なぞ論外であるのは勿論だが、貧者弱者に媚びる者とてろくでもなさでは同率なのだ。貧者弱者の人気を得るため殊更激しく富者強者に噛み付いてみせる輩に至っては、その害、もはや計り知れない。こんな当然の理が、往々にして閑却される。
この点をしっかり踏まえているあたり、流石本山、慶應義塾に学んで福澤の精神を受け継いだだけのことはある。もしこの人がこんにちの毎日新聞の有り様を目の当たりにしたならば、或いはみずから本社に対して火を放ち、何もかも灰にしようとするかもしれない。
今や毎日新聞は、本山の指し示した道筋を、悉く逆走しているからだ。特に「三」、思想は高尚に文章は卑俗に、どころではない。形式だけはご立派に繕っておきながら、中身はヘドロみたくきたならしいのが実情だろう。
毎日新聞をして「変態新聞」の異名を決定的たらしめた、毎日デイリーニューズWaiWai問題ひとつをとってみても分かる。「六本木のあるレストランでは、日本人は食事の前にその材料となる動物と獣姦する」だの、「日本のファーストフード店では、女子高生が性的狂乱状態になる」だの、卑俗などという形容詞ではとてものこと追い付かない、下劣極まる出鱈目を、よくもまああれだけ記事にしてくれたものである。
『座右銘』上に躍如たる本山彦一の精神性を鑑みれば、自分が生み出したものがすっかり腐敗し爛れて崩れ、膿に塗れてもはや見る影もなくなっていたなら、いっそのこと我が手で葬り去りたいと、そのように思い定めることは容易に想像がつくだろう。
先哲の嘆きは如何ばかりか。想うだに痛ましい話である。毎日新聞全社員は、とても本山に顔向けできまい。
いや、恥を知らぬ彼らのことだ。そんなしおらしさを期待するだけ愚かだろうか。
つくづく以って済度し難し。嗚呼。
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