名刺が一葉、はらりと落ちた。
ついこの間の熱い盛りに、神保町で購入した書籍から、だ。
たぶん、おそらく、栞代わりに用いていたものだろう。
拾い上げ、印刷された文字を追う。
たいへん景気のいい地名、小石川区金富町を拠点としていた出版社、東方社の部長から手渡されたものらしい。
ちょっと興味をそそられて社名で検索してみると、「旧陸軍参謀本部直属で、戦時中にはプロパガンダに従事した」とか、香ばしい報せに直面し、危うくのけぞりかけるほどに驚いた。
手触りはいい。
名刺自体の質に関して言っている。
門外漢ゆえ確言するには至らぬが、柔らかなこの触感は、あるいは和紙ではなかろうか。東方社が小石川区金富町に在ったのは、昭和十七年から二十年まで。時代的には十分有り得そうである。
こんなのもある。
名刺が挟んであったやつとはまた別の、しかし同じ日に
昭和十三年八月四日
漢口攻略作戦九江ニ及ブ暁、張鼓峰事件〇〇シ日ソ風雲急ナリ
東京第二陸軍病院大蔵分院ニテ
今井中尉
〇で表示した箇所は、遺憾ながらどうにも私の
学生時代に培った古文書読解の眼力も、そろそろ綻びはじめたか。
ちょっと暗澹とした気にもなる。
しかしそれでも、おおよその雰囲気は
書き手はおそらく傷兵だ。
支那戦線で負傷して、内地に後送、治療を受けたはいいものの、病床のつれづれ堪え難く、無聊を慰めんがために、せめて本でも読もうかと、買ったか贈ってもらったか。そんなところでなかろうか。
東京第二陸軍病院はその後さまざまな変遷を経て、現在の国立成育医療研究センターへと続く。
――それにしても。
と、思わずにはいられない。こうして顧みてみると、なにやら妙に軍関係者と縁のあった本ばかり買い込んでいたようである。
出会いもまた「重力」という。
なるほど確かにこの遭遇は、「引き合わされた」かのようだ。
そう考えると、気分は決して悪くない。
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