鮎川義介が訪独の旅から帰還して、そう日を置かぬうちのことである。
駐ソ米国大使の首がすげ変った。
新たにやって来たのはローレンス・アドルフ・スタインハートなる男。フランクリン・ルーズベルトとは大学に於ける同窓で、聞くところによると年に一ドルの給料でこの大役を請け負ったそうな。
「会ってみるといい。なかなか面白い野郎だぜ」
とすすめてきたのが松岡洋右。これが
(Wikipediaより、ローレンス・スタインハート)
その間、鮎川にとって特に印象深かったのは、
「おれは、おやじからうけついだ財産をこれからロシアに行って全部使ってやろうと思っている」
というスタインハートの大見得だった。
アメリカにはこういう「型」の男がいる。伝統として存在している。
最近では第45代大統領、ドナルド・トランプがそうであるし、カリフォルニア州知事時代のアーノルド・シュワルツェネッガーもまた同じ。後に鮎川が水力発電関連で接触する、テネシー川流域開発公社のデビット・リリエンソールに至っても、やはり年俸一ドルでアメリカ原子力委員会の委員長職を引き受けた。
一連の「型」の人物を、鮎川は「ダラー・エ・マン」と呼んでエライものだと感心している。
世の中金を使わなければどんな仕事もろくろくできん、外交また然りだろうとかねがね松岡を突っついてきた鮎川だ。
――こうでなけりゃあならん。
と、大いに意に添うものがあったのだろう。
これに比べると日本では貧乏なのが外交官になるもんだから、おかみの機密費だけでは気のきいた仕事はできっこない。それどころか、近ごろはその機密費の上前をはねて、やめたときの貯えにするという殊勝なのも珍しくないとのこと。(『百味箪笥 鮎川義介随筆集』163頁)
こうした所謂「政治とカネ」の話柄については、若い頃から興味が強く、聞き耳を立てていた鮎川だ。
特に総選挙の裏側で財閥が如何に暗躍したかは造詣が深い。
なにしろ義兄に当たる木村九寿弥太が三菱の総番頭を務めている。三菱が政党に選挙費用を融通する際、その業務を一手に担っていたのがこの九寿弥太ときているのだから、裏面の消息が筒抜けだったのも頷けよう。
かつての大日本帝国で二大政党といえば政友会と民政党で、前者を三井が、後者を三菱が支援していた。
三井の側でその衝に当たっていたのがかの有名な団琢磨。木村と団は総選挙の開かれるたび一席設けて話し合い、両者同額の金を出すべく打ち合わせ、いつしかそれが一種のシキタリと化したらしい。
鮎川が聞き出したとき、その額は五百万円に上っていた。
当時の五百万円は、現在の貨幣価値に換算しておよそ二五〇億円に相当する。
これだけの金が選挙のたびに政友・民政両党にそれぞれ流れ込むわけだから、財閥が政界に対して比類なき影響力を獲得するのも無理はなかろう。彼らとて、慈善事業で金を投げているわけではないのだ。見返りを期待する下心あってのことである。
斯くの如き政界の現状を誰より嘆き、嘆く以上に憎悪して、血涙を流さんばかりになっていたのが尾崎行雄という男。彼はほとんど当たり散らすような剣幕で、
「政党の首班たる者は、ぜひとも汚職の訓練を積まねばならない」
ということを、あらゆる場所で、表現を変えつつ人々の耳に吹き込んだ。
皮肉であろう。
咢堂らしい、
政党の首領は、嫌でも応でも、資金を作らねばならぬ。実業に従事せざる政治家が、資金を得る道は、腐敗するより外にはない。政権及び党力を濫すれば、資金は作れるが、清廉潔白の道を踏んでは、作れない。而して金力がなければ、首領の地位を保つことは、絶対に出来ない。
是れ如何なる清廉潔白の士と雖も、党首となれば腐敗せざるを得ざる所以である。(中略)金力が主として口をきく以上、立憲政治ほど、有害な制度はない。(『咢堂漫談』324頁)
もし尾崎行雄が「ダラー・エ・マン」のことを知ったら、やはり手を打って喜びを露にしたことだろう。そしてお得意の毒舌で、日本が如何に遅れているかをさんざんにあげつらったに違いないのだ。
ローレンス・スタインハートは駐ソ大使に着任したが、そのほとんど直後に独ソ戦が勃発。遭難を避けるべく、モスクワからの脱出を余儀なくされる。
おそらくは、「おやじからうけついだ財産」を使い果たす暇もなかったろう。
その後はトルコ大使、チェコスロバキア大使、カナダ大使と所在を転々とするうちに、1950年3月28日、乗っていた飛行機が爆発・墜落して死亡した。彼の墓石は、アーリントン墓地の第30セクションに今もある。
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