穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

※当ブログの記事には広告・プロモーションが含まれます

数は支配す


 先日の記事に、およそ一名、とりこぼしがあったことに気がついた。


 松陰吉田寅次郎である。

 

 

松下村塾

Wikipediaより、松下村塾

 


 品川弥二郎追想おもいでばなしに信を置くなら、松下村塾で彼が用いた教本は、『武教全書』に代表される山鹿流の兵学書にとどまらぬ。


『康済録』とか『産話』とか、その内容に経済的色彩を強く含んだ書籍をも積極的に採用し、かてて加えて隙あらば、

 


「士は数を知らざるべからず、士は生産力なかるべからず」


「世間のことは算盤玉をはづれることなし。数によって世の中は支配されてゐる」

 


 このような意味のことどもを、生徒たちに繰り返し口授したということだ。

 

 

 


 弥二郎は、当時、不満であった。


(先生は妙なことを言いなさる。士が金儲けの業などを)


 それはあきゅうどの道ではないか。


 天下国家の行路を憂い、事あらばすすんで命を捧ぐ、サムライの修養とは違う。


 我らにとっての学問とは要するに、青春の血を熱くさせ、尊皇攘夷大義めがけて奔出させる、そういうある種の燃料注入、原動力の涵養にこそ焦点を置くものだろう。


(それが商人の真似事にうつつ・・・を抜かしなぞすれば)


 むしろ、却って、せっかくの、明鏡の如く磨きをかけた士魂へと、曇りを招くのではないか?――


 弥二郎は生真面目に苦悩した。


 彼が認識を改めるのは、維新回天成って以後。


 産業組合創立のため、関係各所を説得すべく、筆に口にと大汗かいて立ち働いていた時分、恩師の教えの正しさを今更ながらにしみじみと、腹の底から実感したそうである。

 

 

Yajiro Shinagawa

Wikipediaより、品川弥二郎

 


「統計を侮るものは施政を誤る」


「暗夜に提灯 事業に統計」


「論より証拠 理屈より統計」


「一に統計 二に計画 三に実現理想郷」

 


 以上四点、ことごとく、岡山県庁官房課にて採用された標語であった。


 松陰とも弥二郎ともまったく関係ないのだが。――「数の支配」の一端をよく表したものとして、末尾ここに附したくなったのだ。

 

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ