伊賀の国に「三百祝い」なる古俗がある。
兄弟姉妹の年齢を合算してその数「三百」に達すると、酒肴を用意し一門の古老を賓客として招待し、しめやかな宴を開くのだ。
単純だが、この条件を満たすのは、なかなか容易なことでない。
昔は平均寿命の短さから、今は出生率の低さから。
例えば五人兄弟の家ならば、その平均年齢が「六十」となればこの儀式を営めるわけだが、知っての通りかつての日本は多産多死が当然の社会。次から次へと産まれるが、ちょっとしたことでバタバタと死ぬ。
五人兄弟のうち一人でも還暦を迎えられれば御の字というありさまで、そのような社会背景のもと「平均年齢」が六十を越えるということは、これはもう一個の立派な奇蹟であった。
だから運よく「三百祝い」の開催にこぎつけることが出来た家は、それをたいへんな栄誉として、後々まで家門の誇りと語り継いだそうである。
その後、医学薬学の発達により平均寿命は飛躍的に延ばされた。
が、「三百祝い」の難易度は下がるどころか逆に上がった。
日本人が、あまり子供を産まなくなった所為である。
いかに平均寿命が延びたと言っても、所詮八十を多少超えた程度の話。これでは三人兄弟であったとしてもその合算は精々二五〇程度に留まり、到底条件を満たせない。
兄弟の数が「四人」であって漸く現実味を帯びて来るが、しかし出生率の低下に歯止めが効かず、つい先年にも合計特殊出生率1.42と、過去最低を割り込んだこの現代日本社会に於いて、それはあまりに厳しい注文だ。
「三百祝い」の開催数は時代が下るにつれて先細り、もはや伊賀の人々でさえその存在を知る者は稀となった。
遠からず、完全に消え去る運命だろう。寂しいが、これも成り行き、仕方ない。
未来は過去の瓦礫の上に築かれるものなんだ。そして人間の知恵とは、それにあらがおうとすることの中にじゃなく、その事実を直視することのなかにあるんだ。(『10の世界の物語』262頁)
アーサー・C・クラークのこの一節が、せめてもの慰めになるだろう。
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