病床今日看酸辛
家門多福君休道
吾羨世間無子人
福澤諭吉の詩である。
書き下しは、
家門多福なりと君いふを
吾は羨む世間の子なき人を
およそこのような具合いになるか。
明治二十二年、長女「さと」が腸チフスで倒れた際に綴ったものだ。
和やかに談笑していた昨日の景色はどこへやら、娘はいまや病床から一歩も動けず、高熱を発し、生死の境に呻吟している。
医師はきっと持ちこたえると診察したが、そんなことで綺麗さっぱり拭われるほど、福澤の心配は浅くなかった。
自慢の思慮も叡智も何も、こなごなに砕けたといっていい。新日本の導き手を以って任じたこの人物も、我が子の前では一介の愚父に過ぎなかった。いっそみぐるしいまでの動顛ぶりが、最後の一節――「世間の子のない人々のことを、むしろ羨む。こんな思いを味わわずに済むのだから」との部分に於いて、もろに浮き彫りにされている。
全体的に荒削りな印象で、よほどあわただしく書きつけたことが透けて見え、正視するには痛ましすぎる気もしよう。
寝食を忘れた父母の看護あってだろうか。幸い「さと」は峠を乗り越え、やがて健康を快復させた。
もう一つある。
明治十六年入梅の候、長男次男を洋行修業に送り出した際のこと。居並ぶ二人の息子に向かって
「修学中、日本で何が起きたとしてもわしの命がない限りは帰ってくるな。たとえ家族が病気と聞いても、狼狽して腰を浮かすことなかれ」
と、いかにも厳父めかしく激励しておきながら、いざ船が出航する段ともなるとこの男は俄然情感を刺激され、
起看窓外夜凄然
烟波万里孤舟裡
二子今宵眠不眠
斯くの如く、繊細極まる詩を作ってはひとり慰めた形跡がある。
烟波万里孤舟の裡に
二子今宵眠るや眠らざるや
と、書き下せばいいらしい。
「二子」はどうだか知らないが、福澤諭吉自身はこの日、とてものこと寝つけなかったに相違ない。
(Wikipediaより、咸臨丸難航の図)
実際問題、福澤は、後に
「コーネル大学に留学した長男が日本人ひとりっきりで淋しがってるようだから、君もひとつ渡米して、コーネルに入ってくれないか。なんなら君の兄弟でもいい」
こんな横着極まる意味の手紙を送るほど、我が子のことを心配していた。
親心の発露といえば聞こえはいいが、受け取る側にしてみれば、さだめしいい面の皮であったろう。
福澤諭吉は我が子をまったく溺愛し、目の中に入れても痛くないと正気で言わんばかりであった。
幼少期、福澤邸に厄介になった経歴をもつ小泉信三その人でさえ、「子供は先生のアキレス腱」と指摘せずにはいられなかったほどである。――「福澤門下の人間としては少しいい憎いが、先生はわが子を思うとともに、しばしばわが子のことのみ思う嫌いもあった」「児孫の愛に、時としては溺れたといえる福澤先生にとり、何よりの幸福は、その四人の息子、五人の娘がみな健かで、先生の後に残ったことである」。
(コーネル大学)
しかしながらそのことで、福澤の価値は下落しない。
むしろ上向く。
三島由紀夫はその名著、『不道徳教育講座』の中で、
――絶対の強者は面白くないという考えが誰にもある。
と喝破した。
人間、一つや二つぐらい、わかりやすい急所を持ち合わせていた方が、愛されやすいということだ。
蓋し至言であったろう。
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