東京を尋常ならざる風雨が見舞った。
明治十三年十月三日のことである。
季節柄から考えて、おそらく台風だったのだろう。
瓦は飛び、溝は溢れ、街のとっ散らかりようは二目と見られぬまでだった。
品川区の霊場たる東海寺では、樹齢百年を
それほどの嵐であったのだ。
さて、それから五日後の夜。
パトロール中の警官が異様なモノを発見している。
台風の残した、意外な爪痕と言うべきか。
場所はまさに先述した東海寺、横倒しに倒れたままの古松の附近。
月光が生む淡い影だまりの中で、何かがもぞもぞ蠢いていた。
(すわ、妖怪――)
場所といい時刻といい総合的な雰囲気といい、化けて出るには相応しすぎる状況である。
原始的な恐怖感情に駆られた彼を、いったい誰が責められようか。
(Wikipediaより、東海寺)
が、それもほんの一瞬のこと。日頃の訓練、反射機能に追加された義務への服従精神が、巡査の志気を復活させた。
意を決して近付けば、益体もない。
按摩であった。
干し柿みたく皴びてくすんだ顔の按摩が、湿った土に膝を立て、衣服の汚れも厭わずに、両手を動かし、体重をかけ、せっせと松を揉んでいる。
その口元は半開きになり、涎とともに何かぶつぶつ、意味をなさない出来損ないの呟きばかりを垂れている。
(物狂いか)
あるいは年齢から考えて、痴呆の類やもしれぬ。
どっちにしろ、これなら下手な妖怪の方がまだしも始末が楽だった。
さりとて彼の着ている制服は、放置を赦してくれないのである。どこぞの屋敷の座敷牢から脱走してきた隠居であれば、やがて通報が入るであろう。そういう事態に備える意味でも予め、署内で保護しておくべきだ。巡査はなるたけ穏やかに、眼前の肉塊に声を放った。
「――」
が、一向に反応がない。
老いた按摩は明らかに巡査の存在自体を無視し、松の幹を揉みほぐす、意味不明な運動律を繰り返していた。
薄気味悪さと苛立ちとが相俟って、巡査の頸の血管が、どうしようもなく怒張する。
「おいっ」
気付けば声を張り上げていた。
大喝したといっていい。
それを受け、按摩の身体が
びくっ
と跳ねた。
電気でも通されたようだった。
そこからの展開こそ異様であった。
「こ、ここは何処でございます、あっ、手が痛い」
急に明晰な言語能力を取り戻した按摩はしかし、一秒前まで自分がやっていたことを、なにひとつ憶えていなかった。
鱗みたいな松の樹皮を、思い切り撫でたり揉んだり指圧したりしていたのである。
掌の皮膚は当然やぶれ、ぐさぐさに傷つき、淋漓と血が滴っていた。
その事実にも、今更ながら気付いたらしい。あわれっぽく痛い痛いと、泣くような声でわめくのだ。
その
巡査は達磨みたいに目を剥いて、松の屍骸を見下ろさざるを得なかった。
(憑きやがったか)
それ以外のどんな解釈も不可能である。思いがけなく強引に、生命を中途で断たれた松の、最後の思い出作りであろう。
正気を奪われ、前後不覚の状態で妙技をふるわされた按摩こそ、いい面の皮ではあっただろうが。
ともあれこれで松の霊が満足し、大人しく昇天してくれるのを、巡査は祈るばかりであった。
それにつけても今回といい、先述した浅草寺の榎といい――明治初頭の東都の樹木、ひいてはそれらを成り立たせる大地には、いったい何が潜んでいたというのだろうか。
まだ地下鉄の一本たりとて走っていない彼の時代。新体制を、文明開化を謳歌する人々の足下では、なにが。
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