「望月ッッ」
その日、紅葉館に雷が落ちた。
紅葉館――東京・芝区に存在していた超高級料亭である。
「金色夜叉」の作者たる文豪・尾崎紅葉が、ペンネームの元ネタとした建物だ。
(Wikipediaより、紅葉館)
隅々まで職人の心配りが行き届いた純和風の邸内。政治家・豪商・軍人・官僚――外国の賓客に至るまで。数多の貴顕が出入するに相応しい、威厳と品格とを完備しきった空間は、しかし現在、ひとりの男の嚇怒によって、まるで噴火口上の如く震えた。
「望月ッ、今の言い草はなんだァッ」
青筋立てて目を血走らせ、宛然一個の鬼相を呈し、罵声を発射し続けるのは「今太閤」こと伊藤博文。
政友会の懇親会で、酒肴の出ている席だった。若手の党員、望月小太郎がふとしたはずみで口を滑らせ、伊藤のことを八方美人と、難局に臨むとすぐ妥協を考える節操なしと嘲ったのが、この戦慄の事態を招いた。
(Wikipediaより、望月小太郎)
「望月、来てみろ、此処へこい。俺は白刃の間を出入りしてきた人間である。貴様達のような小僧っ子に馬鹿にされて堪るかァッ。短刀を持ってこい、決闘するッ」
本来、雷親父と揶揄されるのは、井上馨の役割なのに。
伊藤の凄まじさはまるで、相棒の生霊が
この場には尾崎行雄の姿もあった。
政友会の集まりな以上、当たり前のことである。
(こいつは素敵だ、本当に楽しくなってきた)
尾崎はにやにやほくそ笑みつつ、事の成り行きを見守っていたそうである。
せっかく上がったこの火の手、なろうものなら行き着く果てを見てみたい。伊藤博文のチャンバラ、拝めるものならぜひとも拝んでみたかった。スリを投げ飛ばしたとか乱暴水兵を制圧したとか、世上に蔓延るまことしやかな武勇伝、真偽のほどが、それではっきりするだろう。
(確か、ここには)
幸いに、と言っていいのか不明だが。
尾崎にとっては実に都合のいいことに、紅葉館には能狂言の舞台もあった。楽屋を漁れば模擬刀の五本や十本ぐらい、すぐに見つかることだろう。
(どうにかして、それを持たせて)
いざ尋常にと、両君の立ち合いを実現させる。我ながら胸のときめく構想だった。
(立憲政友会本部)
が、生憎と、役者がいけない。菅公の化身になりきっている伊藤はともかく、望月の方はどうであろう。突然の雹に成す術もなくぶちのめされる蛙のように口をつぐんで畳の一点を見つめたっきり、あらゆる反応を停止している。尾崎がこっそり「楽屋楽屋」と囁いても、意味の解釈に割く余地が、彼の脳にはなさそうだった。
そうこうする間にまあまあここはおひとつどうかと執り成す者が衆の中から
尾崎行雄は勿体ないと臍を噛んだが。私はこの顛末に、『バガボンド』の一幕を見る。
井上雄彦の筆による宮本武蔵ものがたり。その劇中で、吉岡清十郎が語ったことを。
獣は敵に会うとうなり声をあげ おそろしいカオで吠える
なぜかわかるかい?
ひき退がってくれれば 戦いを避けられるからだ
本能はまず 戦いを避ける
伊藤はまさに、この言葉の体現者だったのではないか。
怒りもまた、コミュニケーションのツール足り得る。むろん、使い手に相当以上の器量が要るが――。
(左が伊藤、右が井上)
例のウィル・スミスなぞも、平手打ちに行く前に、ひと手間挟んでまず手袋を投げ付けておれば――無傷とはいかずとも、今日ほど致命的な傷を負わずに済んだのではあるまいか。それともこれは、所詮アメリカの人情に通じぬ書斎人の戯言か?
なんにせよ、伊藤公は巧い。
世渡り上手の印象が、これでますます強まった。
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