穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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野心礼讃


「歯科医ほどつまらぬものはない」


 暗澹たること、鄙びた地方の墓掘り人足みたいなかおで、真鍋満太は言っていた。

 

 

 


 自分で選び、自分で修めた道ながら、この職業の味気なさはどうだろう。毎晩毎夜、布団にもぐりこむ度に、我と我が身の儚さがここぞとばかりに押し寄せて、いっそ消滅したくなる。――そういう愚痴を、昭和十年前後に於いて、くどくど掻き口説いている。


「何故かと言って、考えてもみろ。俺が虫歯を治療なおしてやって、大変見事に出来たとしよう。いや、仮定じゃなく、何度も何度もなんべんも、到底義歯とは見分けがつかぬ、生まれながらの歯みたいに、完璧に仕上げてきたんだが。すると患者はお定まりの口上を、
 ――これは素晴らしい仕事です。なんて自然ナチュラな出来栄えだ。
 さも嬉し気に謳い上げ、輝くような笑顔と共に去ってゆく」


「結構なことではないか」


「それ自体はな。ところがだ、褒めるのはその場限りなんだよ。決して他所で、誰か第三者に向けて、俺の技術を称揚しない。そりゃあそうだな、歯医者の腕を褒めるってのは、そのまま自分の歯が人工ニセモノと告白するのと同意義だ。何のために自然に仕上げてもらったか、これじゃあちっとも分からない。みすみす虫歯になるような、だらしのない生活態度を誰も好んで悟られたくはないんだよ。だから言わない。斯くて我が名は永久に埋れ隠される」


「――そこをいくと」


 と、ここから先の真鍋満太の口ぶりは、もはや怨嗟の相すら帯びる。


「ほかの技術屋は幸福だ。機械にしろ建築にしろ、その作品は白昼堂々、大っぴらに晒されている。衆の興味をすぐに引く。ただ優れてさえいたならば、あれは誰の設計だ、これを発明したのは誰だと、一直線に称賛される。――歯医者ほどつまらぬものはない」

 

 

 


 学者もまた、名利を欲す。


 当たり前だ。彼らは決して仙人ではない。科学の殿堂と言われると俗塵とはまるで無縁な、滅菌された大理石の柱廊でも連想しがちなところだが、これとて所詮は偏見だ。いやしくも人間である以上、その胸奥には野心の炎を燈すのだ。


 福澤諭吉も言っていた、

 


「軍人の功名手柄、政治家の立身出世、金持の財産蓄積なんぞ、孰れも熱心で、一寸見ると俗なやうで、深く考へると馬鹿なやうに見えるが、決して笑ふことはない。ソンナ事を議論したり理屈を述べたりする学者も、矢張り同じことで、世間並に馬鹿気た野心があるから可笑しい」

 


 と。


 自伝に、あるいは『時事新報』の論説に、よく見出せる趣旨だった。

 

 

(viprpg『やみいち!』より)

 


 福澤の偉大さとはここ・・だ。あれほどの碩学でありながら、およそ高尚ぶるところがなく、自分の中の俗物性を直視して、時と場合次第では、それを誇示することもやる・・。実にシャアシャアとしてのける。だから好きだ。福澤諭吉比較くらべれば、武藤山治小泉信三尾崎行雄であろうとも、いい子ちゃんであり過ぎる。


 まあ、それはいい。


 兎にも角にも、承認欲求に餓えていたとて、それが理由で真鍋満太の価値が減ずることはない。


 しかし真鍋も、ほんの慰みがてらに洩らした他愛もないこの愚痴が、「聞き役」としてたまたま選んだその男――工学博士・辻二郎の指先でしっかり文字に起こされて、世紀を跨いで伝えられる破目になるとは、まさか夢にも思わなかったに違いない。

 

 

(戦前、理化学研究所

 


 死後の世界があるならば、慙愧と羞恥に頭を抱え、転げまわっているだろう。


 あいや、それとも、悪名は無名に勝るといって、却って喜悦しているだろうか?


 男の功名心というのは、まったく怪物的だから――。

 

 

 

 

 


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