穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

アテネ史上最短の演説

 

 古代ギリシャ都市国家アテネが遥か紀元前に栄えた国であるにも拘らず、極めて高度な民主主義のシステムを敷き、その上で社会が機能していたことは、今日びほとんど一般常識と化している。


 このアテネにちなんだ逸話の中に、昭和初頭、演説会や講演の場で盛んに舌頭にのせられた噺があった。


 あらましはこんな具合である。古代アテネに於いても選挙の際には各候補者を一堂に集め、同じ演壇から、同じ聴衆に向かって語りかけさせる、所謂立会演説の慣例がいつとはなしに成立していた。


 あるとき、AB二名の候補者がこの立会演説をすることになって、Aが先に演壇に立った。


 このAという男、当節高名な弁論家で、過去に勝利を収めた論戦たるや数知れず。聴衆に「飽き」を感じさせぬコツも十二分に心得ており、身振り手振りを交えながら滔々語ること数万言。自分が政権を握ったならば斯く斯くの事をしよう、斯く斯くの善政を行おう、国家と国民のためならばいくらでも身を粉にする覚悟が自分にはある――といった数多の公約を、最後まで声を嗄らすことなく喋り尽くしてのけたのである。


 聴衆はあまりに華麗な彼の雄弁にすっかり魅せられ、拍手に次ぐ拍手、鳴り響いて止むことのなき歓声を以ってこれに酬いた。


 次に演壇に立たねばならないBの心境こそ悲愴であろう。公開処刑に曳き出されるようなものではないか。おまけにBはAと異なりその弁舌の卓越性を証明する過去の輝かしい経歴などまるで持ち合わせておらず、人々は既に勝負は着いたと考えていた。


 ところがBは何ら怖じ憚る気色を示さず、むしろ決然として登壇し、下っ腹に力を籠めると、


「諸君、今、A君が諸君にお約束した内容は、悉く私が実行します」


 これだけ言って、やはり颯々と降壇した。


 刹那、聴衆は水を打ったように静まり返り、しかし次の瞬間には雷霆の如き歓呼の声を爆発させた。

 その後に執り行われた選挙の結果、圧倒的支持を集めてBが勝利したことは、敢えて言うまでもないだろう――。

 

 

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 真偽のほどはともかくとして、この話が昭和初頭という、日本の政党政治がほとんどどうにもならない域まで腐敗堕落した時節にあって盛んに持て囃されたことは、注目に値するといっていい。


 憲政の神様、尾崎行雄が日本の政党政治に絶望の呻きを洩らしたことは以前書いたが、同様の証言はいくらでもある。
 例えば下村海南という、鈴木貫太郎内閣にあって内閣情報局総裁としてはたらき、ポツダム宣言受諾のために骨を折った男の弁だ。

 


 地方へ行くと、先づ宿屋に政友会の宿屋、民政党の宿屋と云ふものがある。又芸者にも料理屋にもそれぞれの贔屓がある。此間或市に行きましたら、そこでは理髪屋が政党色に分かれて居る。是は出かけるお客も色彩がハッキリして居るさうです。成程咽喉へ剃刀を当てるのだからうっかり反対党の床屋へは行けない。(昭和七年『呉越同舟』104頁)

 


 こうした光景を、東京市長永田秀次郎は「源平」と呼んだ。

 


 この頃のやうに、政党の弊害で官吏といふものが支部長に使はれるか、或は支部長を使ふかといったものにしたんでは、日本は結局源平になってしまふんだな。日本の国民性のやうな感情を持って居るものは源平に分れてしまって、徹底的に、平氏にあらずんば人にあらずといふことを繰返す。(中略)私等が地方官をして居ってね、公平に取締りをすると、一方の党派がやかましく言って来る。君、そんな馬鹿正直な取締りをすることがあるもんか。前の時一尺右へひどいことをして居る。それを今度は一尺左へやってこそ公平だ。それを始めから公平にやられたんでは、たまったものではないと、かういふんだからね。(昭和八年、東京日日新聞編集局長鈴木文史郎との対談に於いて)

 


 およそ中学生程度のバランス感覚だが、どうして世間をうろつくと、いい歳をして未だにこの程度の「公平観」から脱け出せていない大人子供フリークスが存外多い。


 こうして眺めると、日本人の精神性は一世紀前から大して変わっていないとさえ思えてしまう。

 


 日本では善悪に拘らず反対党のやったことは何でも反対することになって居る。どうしても賛成しなければならぬときには名前を変へて賛成する。節約が好いと云ふと何だか時の内閣に共鳴するやうになるといふので無駄排除といった調子であります。(中略)さうではなく善いことは善いとして賛成して置く方が、地を換へて自分達が政権を取ったときに都合が好いのみならず、何よりも国民が迷惑しない。又国民に対しても此点は善いが此点は悪いと言った方が頷かせ易いと思ふ。けれどもどうしたものか日本では、党を異にすれば一から十まで必ず攻撃することに決まって居る。反対党の人が死んだときに口先だけ気の毒だと言ふのがまだめっけものである。(『呉越同舟』107頁)

 


 このあたりの記述など、ほとんど現在の野党を論じているが如しであろう。
 いや、下手をすればもっと劣化している可能性すら仄見える。なんとなれば大衆文学者から「衆愚院」と罵られた当時の政党政治家にあってさえ、審議拒否を繰り返し、ために国会機能を麻痺させて、満天下に怒りの声を渦巻かせておきながら、自分達はのうのうと18連休をたのしむなどという烏滸な所業に及んだりはしなかったのだから。


 日夜政争に明け暮れて醜態ばかり晒した結果、ついに愛想を尽かされて、議会政治そのものを疑問視する空気が国民一般の頭上に醞醸されたあの陰惨な昭和史から、彼らは何も学びとっていないらしい。


 左派野党は「軍靴の音」だの「軍国主義の復活」だのと、一ツ念仏のように繰り返す。


 だが、真に歴史を繰り返させようとしているのは、実は彼らの方なのだ。

 

 

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