革命という非常手段で天下の権を掌握した連中が、その基盤固めの一環として、旧支配者を徹底的に罵倒するのは常道だ。
彼らが如何に搾取を事とし、苛政を敷いて民衆を虐げ、しかもそれを顧みず、ただひたすらに私腹を肥やして悦に入ったか。酒池肉林への耽溺ぶりを、声を限りに叫ぶであろう。
事実の有無は、その際まったく問題ではない。国家の生血を吸い上げる蛭の如き印象を兎にも角にもなすりつけ、それを退治たおのれらの背に、大義の光輪を輝かせること。それが何より優先される。
古今東西、幾度繰り返し展開された情景か、数えるのも愚かしい。
だからこれも、そんなプロパガンダの一環かと初見の際には思ったわけだ。
曰く、革命――バスティーユ監獄襲撃に端を発する大革命――以前のフランスでは、「藍税」なる特殊な税制が行われていたという。
慢性的な財源不足に悩まされた挙句の果ての「窮余の一策」。政府の専売商品たる藍、インディゴの名でも広く知られるこの染料を、七歳以上の全人民に毎年七ポンド以上購入せよと、これが新たなフランス国民の義務であるぞと、こう宣布してのけたというのだ。
押し売りも真っ青な所業である。
既に限界ギリギリの生活を強いられている庶民にとって、これほど馬鹿げた負荷はない。
「文化幸福の国民生活の雰囲気はただこれを大都会に尋ぬべきのみであって、地方幾多の僻邑寒村に至っては、痩せ枯れた風情見るに忍びず」――革命勃発二年前からフランス入りして数多を目にした英国紳士、アーサー・ヤングの言である。
(Wikipediaより、アーサー・ヤング)
確かに彼は「痩せ枯れた僻邑寒村」をつぶさに歩いた。
そして忘れ難き出逢いを果たした。
名も知れぬ農婦がその相手である。
多年の労苦の結果であろう、彼女の腰はひん曲がり、見るからに歩行が辛そうで、顔には深い皴が刻まれ、皮膚のこわばりも凄いばかりで、「老婆」以外のどの印象も、その風体からは浮かばなかった。
七十歳――どんなに低く見積もっても、六十の峠は越しているに違いない。ヤングは順当に考えた。ところがいざ訊ねてみればどうだろう、ものの「二十八歳」という、衝撃の答えを打ち返されたではないか。
事前予測の半分以下の時間しか、彼女の身体は経験していなかったのだ。
「旅行をしたことのないイギリス人には、フランス農村女性の圧倒的大多数の容姿は想像つくまい」と、驚愕も露わにヤングはその著『フランス紀行』に書き綴ったものである。
こういう暮らしを余儀なくされている人々にとって、藍がいったい何だというのか。
買ったところで、いったい何を染めよというのか。馬鹿げているにも程がある。創作にしてもリアリティがないと一蹴されそうな悪逆無道の「設定」を、もし本当に実行したなら、そりゃあ革命の一つや二つ、起こされて然るべきだろう。
(ボルドーの葡萄畑)
以上、藍税以外にも、フランスにまつわる奇話は多い。
大正二年、明治大学で開催された演説会で、渡辺貴知郎なる弁者より、こんなエピソードが示されている。
…世界流行文明の中心を以て有名なフランスは、今日生活難の結果、青年男女共に神経衰弱症に罹らぬ者なく、所謂アプサントの酒を以て漸く不眠症と闘ってゐるのであります。全く結婚不能の者が沢山あるといふ事です。また
この有り様は、どこか現代日本の世相と被る。
(フランス、二十世紀農村の昼)
ヨーロッパの天地に於ける私の興味は主にイギリス・ドイツの二国に対し集中し、フランスについては割と等閑に附す向きがあった。
なんなら長谷川哲也の『ナポレオン』が唯一の窓口という観すらあった。
しかし、今。それはだいぶ勿体ないことではないかと、「窓」を拡張したいという衝動が、私の中で渦巻いている。
差し当たり、次に神保町を歩く際、特に注意して棚を漁るか。
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