古書を紐解く至福のさなか、頁と頁の合間とに不意に見出す前所有者の忘れ物。
思いがけない出逢いにはもう随分と慣れた心算でいたけれど、これは流石に驚いた。
昭和六年、福永恭助著『挑むアメリカ』。
神保町で買い
井上円了『日本周遊奇談』以来のことではなかろうか。あちらは「山梨県立日川中学校学友會蔵書之章」の朱印であった。今回見つけた代物はもうちょっと長い。お目にかけよう、清里村から本郷区へと送られた、一葉の郵便はがきである。
東京市本郷区龍岡町三三
紅葉荘
橘林洋司様
清里にて
HIROMI
と読めばいいのか?
消印と切手から判断するに、送られたのは昭和十三年十一月の頭ごろ。
大東亜戦争突入まで残すところほぼ三年、私の祖父の青春時代。
自分の名前を態々ローマ字で書いているのが奇妙といえば奇妙だが、裏の文面を一読すれば、おおよそ理由は察せよう。
驚いたぞ此間は、寝る前に何の気なしに新聞を開けたらあの恐しの散文詩が現はれたんだからな、だが実によく出来てますよあの文句は、くやしいがよく表現されてますな、駅の・はでもよく覚えてゐて呉れたものだ、今八ヶ嶽山麓の清里村から半里程の清泉寮と云ふ立教のカレッヂハウスパーティーへ来て居る、いつもは宗教団体のみなんだが今のは学生は誰でもと云ふので来て見た、外人五人(二人はもう帰ったが)と後、十五六人程、高い処ってものは実にいゝもんだね、(何しろ高い処は箱根しかしらないんだからね)君の故郷たる甲府を通ったぜ
今これから帰るところだが こゝで書かないのはしゃくだから大急ぎで靴が帰って来たぜ、チェッかな、ぢゃあ又、 さよなら
清里のことはよく知っている。子供の頃から父に連れられ何度か遊びに行ったから。
夏でも涼しいあの高原で、開拓の苦労を忍びつつ、頬張るアイスの快さ。市販を遥かに上回るその濃厚な味わいは、今なお記憶に鮮やかだ。
その清里の清泉寮で開催されたパーティー中に書かれたものであるらしい。
パーティーならば、当然酒が伴おう。
酔っ払ってハイになった産物ならば、なるほど時々支離滅裂な文面も、自分の名前をローマ字で書く風狂も、納得のいくことである。
「立教のカレッヂハウスパーティー」か。光景がおのずと目蓋に浮かぶ。今も昔も、学生気質に大差なし。他人の若気の至りそのもの、大事に保管させてもらおう。
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