穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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カネは最良の潤滑油 ―「賄賂天国」支那の一端―


 北京の街を、日本人の二人組が過ぎてゆく。


 西へ向かって。


 うち一人の名は有賀長雄


 日清・日露の両戦役に法律顧問の立場で以って貢献した人物だ。ウィーン大学留学時、ローレンツ・フォン・シュタイン教授に師事し磨いた彼の智能は本物であり、旅順要塞陥落時には通訳として間に立つなど偉勲があった。

 

 

Aruga Nagao

Wikipediaより、有賀長雄)

 

 

 明治四十二年にはノーベル平和賞の候補者として名が挙がったこともある。


 その経歴と手腕を見込まれ、大正二年、大隈重信の仲介により、今度は袁世凱の法律顧問におさまった。


 以来、中華民国を名実ともに第一流の国として世界に認めさせるため、骨を折り続ける毎日である。そんな有賀博士のもとを、あるときふと、本土の旧友が訪ねたわけだ。


「よく来てくれた」


 博士の喜びはただことではなく、文字通り肩を抱いて迎えたという。思い出話や近況報告に花を咲かせているうちに、ごく自然ななりゆきで、


「おい、頤和園を見に行こう」


 という具合いに話が決まった。


 左様、頤和園


 北京西郊に築かれた、皇帝のための庭園だ。


 園内には山あり城あり湖水あり、その規模といい華美といい、真に人をして唖然たらしめるものがある。

 

 

Longevity Hill

Wikipediaより、頤和園の目玉・昆明湖と万寿山)

 


 清朝末には西太后離宮として彼女の独占に帰したものだが、国が革められて以後、有料ではあるものの一般にも開放されて、天下の耳目をいよいよ集めた。


 はるばる北京まで来た以上、頤和園を見て帰らねば嘘である。


 そういう意識が、この日本人どもの脳裏にも色濃く宿っていたのであろう。だからこうして赴いた。


 ところがである。


 いざ入園した両名は、しかし眺めに見惚れる暇もなく、困惑に次ぐ困惑を味わわされる破目になる。


 通れないのだ。


 敷地内の至る所にある扉。そこを警護する――少なくとも名目の上では――門番が、なんのかんのと理由をつけて彼らの通行を許さない。


 持って回った言葉遣いに、時折混ざる微妙な視線。思わせぶりな仕草の数々、意味するところは明白だ。


 賄賂をよこせと言っている。


 正規に払った入場料とはまた別に、この俺様にもいくらか包んで寄越しやがれ厚顔無恥にも求めているのだ。

 

 

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昆明湖に浮かぶ石舫)

 


 有賀博士が袁世凱の顧問たる、自分の名刺を出してみせても効果ゼロ。蛙の面に小便、馬の耳に念仏よろしくてんで応えた形跡がない。


 万事休すで、予想以上の重量が財布から出てゆく運びとなった。


「こんなばかな話があるか」


 既にこの地に在ること長い、有賀長雄はまだ大人しい。


 支那人気質というものが、果たして如何なる味わいか。身を以って幾度も思い知らされているがゆえ、まだ諦めもつけられる。


 しかし片方、旧友は違う。


 支那に対してまるで免疫の無かった彼は、いかにも日本人らしい廉潔ぶりをもろ・・に発揮し、さても生真面目に憤慨し、折角の景勝もなんの感動も齎さず、どころか逆に見れば見るほど胸がむかつきだすという悪循環に陥った。


 一日経ってもその焔が鎮まらず、激した挙句、たまたま顔を見知っていたジャーナリストの元へゆく。


 東京・大阪朝日新聞が当地に駐在させていた、ある特派員のところへ、だ。


 そしてすべてをぶちまけた。


 自分がどれほど不快な体験を強いられたのか、洗いざらい何もかも。


支那は是だから亡国の外ないんだ」


 と。


 それにいちいち頷いてやった特派員とは、もちろん例の神田正雄その人である。


 神田は後にこの情景を『謎の隣邦』に具している――大陸社会に賄賂の弊が如何に根深く巣食っているか、その例証の一として。

 


 支那は上、王侯から下は門番に至るまで相当の賄賂がないと動かない。清朝の末路西太后の全盛時代に於て、地方の大官が拝謁に赴くには、宮中の湖水三海を舟で渡らねばならない。若しその舟漕ぎに大枚四十両の贈金をしないと舟は故障の為めに拝謁時間に間に合はず、大失態を演ずると云ふをはじめ、清朝宮廷一として賄賂なくては物が運ばなかった。その贈り物をする方法は、親王家出入りの骨董商と牒し合せて、その店から骨董を求めて贈る。商人は早速親王家から現金で買取るといふ仕組みである。だからこの場合贋骨董も手形の代用を為す訳で、支那に贋骨董の必要のあるわけも自ら諒解が出来る。世は民国になって種々な方面に改革も行はれるが、此の賄賂は依然として衰へた様子はない。(202頁)

 

 

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紫禁城の中庭)

 


 マネーロンダリングに美術品が利用つかわれるのは常識だ。


 鉄板といっていいだろう。


 流石に支那は年季が入っているだけあって、ちゃんと基本を弁えている。

 


 支那で官庁相手の商売は、役人に対して贈り物をしなければ、如何に品物がよくて値段が安くても、買上げにならないことが出来てくる。単にそれ許りか、御得意先の門番や下男にまで毎年何回かの心附けをしないと、商売は上ったりである。大体商人は売上の五分位は「門銭」として門番に遣らなければならない風習がある。(203頁)

 


 礼教の国の実態は、斯くばかりに凄まじい。

 

 

 

 

 


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