穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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夢の分解 ―小氷期を希う―


 夢を見た。


 北海道の夢である。


 かの試される大地の上を、北条沙都子古手梨花――ひぐらしのなく頃に』の主要登場人物二名がバイクに乗って突っ走ってる様を見た。

 

 

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 互いに成長した姿であること、言うまでもない。


 バイクは一台。運転する沙都子の腰を梨花がこう、両手でグッと挟む感じで確保して、つまりはタンデムツーリングの格好で。叫びあげたくなるような青空の下、本州ではまずお目にかかるのは不可能な、むきだしの地平線めがけて単車は一路進みゆく。


 それはそれは美麗至極な眺めであった。


 材料が何であるかははっきりしている。単純に当該作品――『卒』を視聴中であることと、目下読み込んでいる本が、昭和二十一年刊行『随筆北海道』な所為であるに相違ない。

 

 

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 あとがきに惹かれた。

 


 私がさきに「北海道・樺太・千島列島」を編纂してからもう三年たった。その間にわが国のありさまは大きく転回して、今では、あの書題のうちの、樺太と千島とがはっきりとわが国を離れて行ってしまった。それに、台湾がない、朝鮮がない、もとより満洲がない。

 


 このあたりの慨嘆はシベリア抑留からの帰還者・田倉八郎が抱いたそれとほぼ同質といっていい。


 やはり当時の日本人に、ある程度共通の想いだったか。


 が、そこで終わるをよしとせず、

 


 さうなると、北海道といふ、この広い、ゆたかな土地が現在の日本のうちに占めてゐる地位はまた一段と高くなった。日本人は一人残らずもっとはっきりと北海道を見直し、北海道を大切にせねばならぬ。また、ここに住んでゐるわれわれは、ここの良さ、ここの美しさをすべての日本人に十分解らせるやう、あらゆる機会に力をあはせて努めねばならぬ。

 


 残ったものに目を向けて、なあにまだまだこれからサと自他を鞭撻、再起を期して立ち上がらんとす、編者山下秀之助の気概に感じ入ったのだ。


 だいたいそんな経緯によって、買わないという選択肢は私の中から消え失せた。これは是非とも、手元に置きたい。その価値がある一冊だ。――焦燥にも似た情動が、私に購入を決めさせた。現状、ありがたいことに、その判断を後悔せずに済んでいる。

 

 

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(田辺三重松「函館風景」)

 


 ……しかし、ここまで書き終えて、改めて見返して思ったが。これは果たして夢日記と呼べるのか。夢よりも現実世界の四の五のが、八割方を占めていないか。


 例によって例の如く、蒸し暑さゆえの寝苦しさに禍されて、ろくに夢の内容を記憶できないのが悪い。「夢」それのみでは、とてものこと記事を保たせられぬのだ。さても口惜しき限りであった。


 つくづく以って嫌になる。秋、秋、秋はまだなのか。いっそのこと太陽活動が低下して、江戸時代みたいな氷期に突入してしまえばいい。そんな突飛な思考さえ、近ごろ抱きがちである。

 

 

  

 

 


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