今はもう、すっかり廃れてしまった風習だが。――
ほんの一世紀前までは、南洋に分布する先住民族たちの間で広く行われていた「ならわし」だった。
女性が産気づいたとき、その旦那に当たる人物を鞭やら何やらで手酷く痛めつけることは、である。
特に強烈なのが南米に棲むカライベン族の人々で、彼らはまず父親の皮膚を
(Wikipediaより、蒲桃の実)
学術的には「
おそらくは女房の苦痛を引き受けられるものなら引き受けてやりたいという、良心の疼きを根幹に持つこの習俗は、実を言うと日本にもある。
それも遠く神代の昔の話ではない。江戸時代の関東にさえ存在していた。
栃木県足利郡の村々には、妊婦が破水し産婆の介助で
この奇怪な反復動作は、お産が終わるまで続く。
その間、休むことは許されない。汗が滝のように体をつたい、膝が笑って呼吸が病犬さながらに荒くなっても、男はひたすら歩き続ける。だからこの地方の古老たちは、里の子供をつかまえて、
「お前の母親はお産が軽いから、父親が臼を背負って三回めぐる間に生まれた」
とか、
「お前の母親は産癖が悪いから、父親が臼を背負って十七回家をめぐり、それでも産まれず仕方ないので医者が来て引っ張り出したのだ」
とか言って揶揄したということである。
民俗学者の中山太郎も、その洗礼を浴びて育ったひとりであった。
後年、中山が民俗学者として一角の者となってから、久方ぶりに郷里に帰還してみると、とうに途絶えたと思っていたこの風習が、か細くとも未だ執り行われていると知り、「伝統」の根強さに改めて目を見張る思いをしている。
ついでながら触れておくと、この足利という土地は、また博奕のメッカという側面も持ち、老いも若きも男も女も賽子の出目に我が身の浮沈を託したものだ。その盛況さたるや、
「博奕を打たないのは旦那寺の本尊と辻の石地蔵だけだ」
との俚諺を生んだほどであり、下手に澄まして悪銭身に付かずと構えていると、
「小博奕の一つも打てぬような男には、娘を嫁にやるわけにはいかぬ」
と、およそ世間並の常識とは真逆の説教を喰らうことさえあったという。
このような場所で育ったことが、あるいは民俗学への興味・関心を掻き立てたのか。
妾の年季を増すばかり
紺の腹掛け片肌ぬぎで
勝負、勝負も粋なもの
足利織の女工たちが仕事中に口ずさんでいた都々逸は、中山太郎の鼓膜に滲み付き、晩年まで消えることはなかったようだ。
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