先日、芝東照宮へ
東京都港区は芝公園の一角に在る、四大東照宮の一角だ。残る三社は、上野東照宮、久能山東照宮、日光東照宮。
そのことについて書こうと思う。
東照大権現神君徳川家康公の御霊を祭るこのお宮には、本来もっと早く来てよかった。
具体的には昨年度、東京タワーを上下したあの時に、である。
両施設は目と鼻の先といっていいほど至近に位置し、なんとなればタワーの展望台からその屋根が、ありありと見えていたやも知れないからだ。それが事前のリサーチ不足で、みすみす機会を逃してしまった。返す返すも不覚である。
それで今回、漸く訪れる機会を得た。
コンクリ製の鳥居をくぐる。
むかしは筑前国福岡藩主黒田忠之の寄進した立派な鳥居があったそうだが、惜しくも先の戦争で焼失している。
境内はさして広くない。が、森閑として居心地自体は頗るよろしい。
右手には御神木たる大銀杏が。
三代将軍家光が寛永十八年に植えたとされる由緒正しいものであり、昭和五年八月以降、天然記念物に指定された。
その威容。
神威凛烈肌を刺し、身の内が慄えるほどの感に打たれた。
脇にたたずむ看板は、昭和十一年に文部省が立てたもの。鳥居は焼けたが、こちらはどうにか生き延びたようだ。
すっかり陽に焼け、黒ずんで、ところどころ掠れているが、とりあえず読むのに支障はない。
以下、内容を書き出すと、
説明
目通幹囲六メートル余
公孫樹の地方的巨樹として有数のものなり
注意
一、柵内に這入らざる事
一、濫に火気を用ひざる事
一、枝葉を伐採せざる事
一、根幹を損傷せざること
昭和十一年四月十七日
文部省
ごく当然なことどもである。
また一方には、このような石碑の姿もあった。
どうも右側の碑の方は、寛政六年に刻まれたのを明治十六年「再修」したものらしい。
寛政六年といえば、西暦1794年。この樹がここに植えられてから、153年が経過している。
その時分からもう既に、
幹大鬱欝枝栄蒼蒼
と、神樹たるの風韻をたくましくしていたようである。
その成長を、奥にまします家康公は、和やかな気持ちで見守られていたことだろう。
いい想像をさせてもらった。葉が鮮やかに色づく頃、もう一度訪れたいものだ。
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