穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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アフガニスタンの酒事情 ―イタリア人の挑戦―

 

 アフガニスタン回教徒イスラームの国である。


 ハラールの定めに従って、その国民は豚はもちろん酒も呑めない。


 しかしながら外国人にまでそれを強要してしまうほど、彼らは狭量でなかったようだ。少なくとも、近藤正造滞在時にはそう・・だった。

 


 アフガン人は、回教徒として酒を用ひないが、カーブルにゐる外国人は、一年間の飲み料だけ政府に申請して許可を受け、税関を通じて配給して貰ふことになってゐた。普通、百本を標準としてあるから、大いにやる人にはこれでは足りないので、特別の許可を申請しなければならない。日本人の中にはこの許可を受けなければならぬ程の人はなかったが、少量ならば特に許可を受けなくても、理由があればその都度税関が分けてくれることになってをり、地方ではそんなにやかましくないと聞いた。(『アフガン記』57~58頁)

 

 

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(カーブル)

 


「特別の許可」が必要とされたのは、主にイタリア人であったろう。


 彼らはいちいち税関を通さねばならぬまだるっこしさを忌み嫌い、ついに国内でワイン醸造をおっぱじめ、自給の道を歩み出す。荒涼とした風の吹きすさぶ、単調な砂と岩の世界というイメージの強いアフガンであるが、実はこの国、農業がことのほか盛んであった。


 1200kmに亘って延々と連なり、7000メートル峰すら幾つも抱える、ヒンドゥークシュ山脈――意味は「インド人殺し」――からの雪解け水がそれを支える。


 特に葡萄づくりは伝統的かつ大規模で、夏には常食とするほどであり、味の方もすこぶるよろしい。世界に流通する干しぶどうの大半を、アフガン産が担った時期すらあるという。


 ことほど左様に好条件に恵まれながら、ワイン造りに及ばぬなどと、イタリア人にしてみれば、もはや犯罪的ですらあったろう。彼らはその事業に熱中し、やがて素晴らしい成果を挙げた。賞味する機会を得た近藤曰く、


「新酒はひどく悪酔ひをするが、二年目からは和やかな味が出て来て、舌触りがよく、皆が飲みすごしては苦しんだことがあった」


 とのことだ。

 

 

Mountains of Afghanistan

 (Wikipediaより、ヒンドゥークシュ山脈

 


 アフガニスタンではつい先日もタリバンによるテロルが発生、兵士・民間人あわせて32名が殺害された。


 泉下の近藤正造も、さだめし嘆息していることだろう。この人はアフガニスタンを後にする際、通過した国境検問所に於いて、以下の如き会話を交わした。

 


 若いアフガン人の役人はパス・ポートを見て
「もうアフガニスタンには来ないのですか」
 と尋ねる。
「いやまた必ずやって来る。いろいろお世話になった。若し君に出来ることならば、七月三十一日に国境を越えた日本人がアフガニスタンの発展を心から祈りながら行ったといふことを、カーブルの人たちにお伝へ願いたい。私がアフガニスタンで最後にお世話になる君もどうぞ元気で国家に尽されるように祈る」
 といふと、彼は非常に喜んで私の手を握り、
「国境はまだしまらないからお茶でも喫んで行って下さい」
 といひ、傍の椅子をすすめて歓待してくれたばかりか、兵に命じて車に水を補給し真白になった埃をきれいに払はせてくれた。思ひがけないところでおいしいお茶を御馳走になって渇いた喉をうるほし、暇を告げて車に乗ると、彼も兵たちも車の側に立ち並んで恙なかれといひ、手を振って別れをおしむので、私も思はずほろりとなってしまった。(429~430頁)

 

 

Section of Kabul in October 2011

 (Wikipediaより、2011年のカーブル)

 


 時の砂に埋もれた無数の情景、その一つといっていい。


 この兵士たちの何人が、その後天寿を全うし得たことであろうか。「文明の十字路」は今なお新たな血を求め、戦乱の坩堝であり続けている。

 

 

 

 

  


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