穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

英国精神小話四撰

 

 

 贋金造りで逮捕されたその男性は、審理の席で自分が如何にみじめな境遇に置かれていたかを泣くような声でアピールし、以って衆の同情を誘い、情状酌量の余地を一寸でも拡大すべく努力した。


「――このようなわけで、私は家賃の調達すらままならず、人並みの生活を送れませんでした。今回の罪も良心の呵責に苦しみながら、家賃を拵え、一ヶ所に落ち着き、真っ当な人生をはじめたいあまりやむにやまれず犯したもので、それ以外の目的は一切なかったわけですから、この窮状を憐察して、どうか寛大な御処置をば」


 陳述を受け、判事は鷹揚に頷いた。
 口元にはまるで菩薩を思わせる、柔かな微笑が浮いている。


「なるほど、家賃のためにやった仕事か。よろしい、その労苦に対して、満五ヶ年の住宅を提供しよう」

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20200419170614j:plain

 

 

 

 天才にありがちな欠失といってしまえばそれまでであるが。――


 経済学の祖、アダム・スミスはその幼き時分から、脈絡もなく突然放心状態に落ちたり、かと思いきや誰もいない虚空めがけてぶつぶつと、ひっきりなしに独り言を垂れ流すという妙な癖を持っていた。


 ひとたび何かを考え出すと、周囲の状況を全然忘れ、ひたすら自己の内側へと埋没してゆく――度外れた集中力の発露の結果といっていい。


 しかしながらこれあるがため、周囲は奇異の視線を注ぎ、「実務に関しては無能力」の烙印を押されることとて珍しくはなかったという。

 

 

AdamSmith

 (Wikipediaより、アダム・スミス

 


 オックスフォード在学中の彼の逸話に、次のようなものがある。


 友人たちと朝食を楽しんでいたアダム・スミスは、突如脳髄を貫いた天啓的発想に夢中になって、例の如く絶句した。


 瞼は開かれているものの、彼の視界はここではない、どこか異なる超次元の高みまで完全にすっとんでしまっており、自分の手が何をやっているかも気付けない。


 どういうわけか彼の手は、バターの塗られたパンを乱暴に丸めて団子にしており、友人たちが唖然として見守るさなか、今度はそれを茶瓶に詰め込み、上からお湯を注ぎ入れ、その出し汁をコップに移して口に運んだ。


 で、呟いて曰く、


「こんな不味い茶を飲んだのは初めてだ」


 日曜日の朝、庭前を寝間着のまま散歩中、空想に嵌り込むあまり、いつしか15マイル(およそ24km)先の街まで行ってしまったこともある。


 教会の鐘の音を耳にして、初めて我に返ったそうだ。なるほど社会の歯車とするには不適当、規格外の人物としかいいようがない。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20200419170941j:plain

(オックスフォード大学)

 

 

 

 ジェームズ・ハリントンは激怒した。


 丹精込めて仕上げた政治小説『オセアナ』が政府の検閲に遭い、没収されてしまったからだ。


 護国卿クロムウェルの指導体制を「共和主義の皮を被った君主制とこき下ろし、


「おれが本当の共和主義を見せてやる」


 と息巻いて架空国家「オセアナ」を舞台にその実現模様を描ききった珠玉の傑作。この印刷を差し止めるなど、英国どころか人類にとっての損失であろう。

 

 

James Harrington from NPG

 (Wikipediaより、ジェームズ・ハリントン)

 


 ハリントンは活路を求め、クロムウェルの娘に当たるクレイポール夫人のもとを訪れた。


 客間に通され、夫人を待っているあいだ、三つになる彼女の娘と戯れ過ごす。ハリントンは少女の旺盛なる好奇心を満足させるべく励み、一定の成果を挙げたという。


 ところがこれはなんたることか。やがて夫人が入室するや、ハリントンは自分の膝に座らせていた少女の身をひしと抱き締め、


「貴女の父上は私の愛児を攫っていった。私は今、その復讐にこの可憐なお嬢さんを攫って行こうとしている処だ」


 このように言ってのけたのだからたまらない。


 当時のオリバー・クロムウェルは、誰疑うことなき独裁者。その権力を発動させれば、ハリントン如き一寸刻みに殺すこととて容易だったはずである。


 しかし、彼はそうしなかった。


 どころではない、却ってハリントンの機智を讃え、「愛児」をその手に返してやったというのだから、クロムウェルもやはり英国人たるを失っていなかったということだろう。


『オセアナ』はクロムウェル指導時代の1656年、無事出版され日の目をみている。

 

 

Cooper, Oliver Cromwell

Wikipediaより、クロムウェル) 

 

 

 

 窃盗の常習犯が逮捕された。


 この男、既に前科六犯を背負わされているだけあって、監獄を視ることあたかも別荘の如くして、少しも恐れ入る風がない。


 不遜な態度に業を煮やした判事、厳然として曰く、


「お前は到底改悛の見込みのない奴だ。お前のような危険人物には、法定の最長期の刑罰を科さねばならない」


「最長期ですって? なるほど私は度々お手数をかけました、まったく、私は法の常得意です。しかし、常得意には割引をするのが、世間一般の通り相場ですがねえ」

 

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ