元日産自動車株式会社役員という繋がりゆえか。
(朝倉毎人)
その中から特に秀逸と感じたものを得手勝手に抄出すると、大方次のようになる。
描出毫鉾画裏仙
餘技義翁能若此
朝昏笑仰小窓前
雲煙飛躍して華箋に満つ
描き出す毫鉾画裏の仙
餘技の義翁よく此の如し
朝昏よろこび仰ぐ小窓の前
(鮎川義介作、猫)
鮎川義介が絵画を趣味としていたことは、これまでにも幾度か触れた。
眺めるのではなく、みずから筆を揮って描く方を、である。
三角や円といった図形の類を、フリーハンドで何万枚も描き上げて修練を積んだということも。
団円端坐宛明星
応知不撓錬磨裡
到達風神筆硯霊
線影画然たり三角形
団円端坐す宛として明星の如し
まさに知る不撓錬磨のうち
到達す風神筆硯の霊
これなどは、そのまま件のエピソードを題材に詠んだものであるだろう。
一
富国鴻図偏欲披
力行随所偉勲垂
功成晩節友文墨
清瀌安居玉川涯
二
玉川流峙別乾坤
安住菟裘応養魂
九秩邀齢君忘老
澄晨曳杖月留痕
一
富国の鴻図偏にひらかんと欲し
力行いたる処偉勲をたる
功成り晩節文墨を友とし
清瀌安居玉川のほとり
二
玉川の流峙乾坤を別ち
安住の菟裘まさに魂を養うべし
九秩の邀齢君老を忘れ
澄晨杖をひけば月痕を留む
昭和三十八年六月、鮎川義介は千代田区紀尾井町から離れ、世田谷区岡本町にすまいを移した。
玉川のほとりにひっそりたたずむその新邸を訪問した際、所感のほどを書き綴り、贈呈したものである。
(鮎川義介作、百合根)
人影まばらな朝ぼらけの中、自動車を操りかの
奥にまします明治大帝の神威を浴びて、鮎川曰く、「これ以上の健康法はなかった」。
人通りもないし、空気が素晴らしく、おいしいのみならず、考えたり、瞑想にふけるのには恰好の勝地だ。
東、西、南それぞれにある水舎場に、毎月取替えて掲示される明治天皇、昭憲皇太后両陛下の御製、御歌を読むと、神々しさに祓い浄められて、聖人にでもなれたような気になる。ぐるっと巡ると一時間半位はかかるが、厳寒でも汗ばむ。帰ってシャワーにかかると心身爽快この上もない。(『百味箪笥 鮎川義介随筆集』14頁)
(明治神宮大鳥居)
江は玄海に連なる老漁村
よく場区に適し我が魂を動かす
手に鋤鍬をとりて地鎮を為し
壇に幣帛を捧げて天恩に謝す
営々特種鋳鋼の業
嘖々盛名瓢印のあと
躍進窮まりなく業界に冠たり
忘るべけんや本をむくい淵源に感ずることを
最後に掲載するこれは、朝倉毎人の作ではない。
鮎川義介本人が、日立金属工業会社創立十周年を祝して筆を動かし編んだ漢詩だ。
(鮎川義介作、港の風景)
詠み手の人格を反映すること、物凄いばかりの歌である。これほどの覇気と信念を湛えた経営者が、今の日本に何人居るか。
敬服するよりほかにない。
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