穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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降る星の神秘


勝浦郡生比奈村星谷には岩窟の中に仏像の彫ってある星の窟といふがあり、昔、星がちたのを此の岩で掩ふたのである――。


 前回に引き続き、加藤咄堂『日本風俗志』よりの抜粋である。


 語感から何から、脳を震わせてくれること、抜群な話ではないか。

 

 

Hoshi-no-iwaya 04

Wikipediaより、星の岩屋)

 


 また別の縁起を参照すると、「ひとびとに害を与えていた悪星を、弘法大師が神通力にて引き摺り下ろし、二度と天へと昇れないよう蓋をした」ともされている。


 いずれにせよ、コズミックホラーの素地として理想的なポテンシャルであったろう。


 まかり間違ってビルゲンワースの耳に入れば、もうたちどころに冒涜的殺戮者の集団が仕込み杖片手に押し寄せそうな、つまりはそういう場所だった。

 

 

 


 降る星に神秘を感得し、これを崇める習俗は世界各地に散見される。


 メキシコの古い神殿跡から発見された隕石は、まるでミイラをそう・・するように上質な布でぐるぐる巻きにされていたということだ。オハイオ辺のインディアンにも鉄塊を御神体として額づく部族が存在し、白人どもが後に調査のメスを入れると、果たせるかな、正体は疑いもなく隕鉄だった。


 東アフリカの某所めがけて、一ポンド前後の小粒なやつが降下したのは一八五三年、奇しくもペリー来航の年。住民はこれを拾い上げるとさっそく油を塗りたくり、紐やら布片きれやら花弁やらを持ち寄って遮二無二盛んに飾り立て、ついには立派な宗教上の儀式さえも行った。


 啓蒙の獲得による一時的狂気。そんな見方妄想を、ついしたくなる。

 

 

 


 鍛冶屋の妻が鉄を生み、それを剣にしてみたところ、物凄い切れ味になったとかいう伝承も、畢竟隕鉄のメタファーではあるまいか。そう指摘する者もいる。東北帝大金属材料研究所に籍を置く、加瀬勉なる理学士である。

 


「…現に我国に於いて故榎本武揚氏の所有に係る白萩隕鐵は、その一部を切断されて長刀及び短刀より成る二組の日本刀、所謂『流星刀』を造られたが、長刀一振は当時の皇太子殿下(大正天皇)に献上され、短刀一振及び隕鐵の残部は目下本郷区湯島の東京博物館に所蔵されて居るやうな訳である」

 


 こんなことを昭和三年に書いている。


 やはり宇宙、宇宙は浪漫の淵叢だ。


 神とは時代の最高理想。人間に可能なことが増えた今、水をワインに変えた程度じゃ誰も感心しやしない。ことほど左様に文明は、人間性を擦れさせる。天空も山頂も深海も地下も交通可能な現代社会で、神域の名に相応しき場は、宇宙以外に有り得ない。ゼログラビティの深淵を自由自在に泳ぎ渡れる超生命であってこそ、初めて仰ぎ見るに足る、「上位者」の名に値する。

 

 

 


 久々にクラークでも読み返そうか。

 

 ヤーナムでのたうち回るのもいい。そういう気分にさせられた。

 

 

 

 

 


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