ナポレオン一世が欧州大陸輸入条例を発布した当時、
ナポレオン烈しい聲で「何だ、禁制品ではないか」
牧師「さればこの通り焼いて居ります」
むかしサモスの使節がクレオメネスの
「お話の始の処は
付記・おそらくは、スパルタ王クレオメネス一世にまつわる話であろう。事実この人は紀元前517年、サモスからの救援要請を撥ねつけている。
ちなみに彼の異母弟にして娘婿でもある男が、映画『300』や『アサシンクリード オデッセイ』等で近年一躍名の知れた、かのレオニダス王である。
イタリアの文豪トルクァート・タッソが初めて詩を作って其名を全国に馳せた時、タッソの父は之が為に息子がもっと有利な稽古事を怠るやうになりはしまいかと心配して、タッソの許に行って、哲学や作詞に身を入れて居る事を厳しく叱って、さんざんに罵り嘲った。処がタッソは辛抱強く
「全体お前がそんなに大事に思ふ哲学と云ふものは何の役に立つのだ」
と
「お父さん、哲学は貴方の
「貴様何故働かないのだ。申し分の無い身体をして居るでは無いか」
乞食「へへ、檀那は私が大の
マリヴォー「そら、手を出したり。貴様隠し立てをせぬによって二円やるぞ」
付記・マリヴォーとは、ピエール・カルレ・ド・シャンブラン・ド・マリヴォーのことかと思われる。
この人の作風を鑑みるに、なるほど如何にも
百歳に手の届いたフォントネルが是も余程長年した貴婦人と客間で
「死神も私たちを忘れたと見えます」
フォントネルすかさず、
「おっと静かに。彼奴に気を
付記・フォントネルはフランスの著述家、17世紀半ばから18世紀半ばまでを生きた人。あと一ヶ月存命すれば100歳に手が届いたが、惜しくもその寸前で亡くなった。
それにしてもこの長寿は、当時の衛生環境等を考えると驚異的と言うほかない。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓