日本人にはユーモアのセンスが欠けている、と俗に云う。
こいつらはどいつもこいつも樫の木みたく固く曲がらぬアタマの構造を持っていて、洒落と云うものを一向解さぬ。どころか逆に糞真面目を美徳と考えている節があり、それゆえ解す努力すら払おうとせぬ、まったくつまらん人種であると。
なるほど確かに外つ国では猫も杓子も、大統領だってジョークを飛ばす。否、大統領であればこそ――顕職に就けば就くほど、より高度なジョークセンスが要求される観がある。
例を挙げよう。
セオドア・ルーズベルトがまだ共和党に属していたころ、大統領選挙を間近に控えた演説会での出来事だ。彼は政敵たる民主党の政綱や政策を痛烈に批判し、将にその演説を終えんとしたとき、聴衆にまぎれていた一民主党員が矢庭に質問して曰く、
「貴下は何故に共和党員であるか」
ルーズベルト、間髪入れず返答して、
「我が父祖みな共和党なりしがゆえに」
返す刀で民主党員が、
「さらば貴下の父祖みな盗賊なりせば如何に」
とここでルーズベルト、相手の発言が終わるか終わらないかのうちに声を張り上げ、
「私は民主党員であったろう!」
もっともこの話には、いくつか首を傾げざるを得ない点が含まれているため手放しで事実と信じるわけにはいかない。
ルーズベルト一族は1850年代の半ばまで強い民主党支持者であり、その後新たに結党された共和党に加わったというから、「我が父祖みな共和党なりしがゆえに」との発言は正確さを欠く。
おそらくは創作であろう。
しかしアメリカに於いて、大統領はよく聴衆から野次られるものであり、それにどう切り返すかで鼎の軽重が問われるのは確かなようだ。第17代大統領アンドリュー・ジョンソンは、やはり演説中に
「服屋の
と、その前歴を痛烈にあげつらわれた。
ジョンソン、これに応ずるに、
「確かに私は服屋の
堂々と、真正面から切り返している。
毅然とした面持ちが目に見えるようだ。
職業に貴賎なし。これはこれで大事な真理ではあるものの、今回はユーモアを主題に据えた記事の筈だ。なのにいつの間にか内容が真面目以外のなにものでもなくなっている。
私はどう足掻いても日本人にしかなれないと、しみじみ痛感するのはこういう場合だ。
まあいい、脱線はここまでだ。話を元に戻そう。
このように固さ一辺倒の日本人の頭部をして、どうにか湿り気と柔らかさを与えてやろうとする試みは、遠く大正の御代から既にあった。
日本図書館学の先駆者、文学博士和田萬吉氏は大正八年に『諧謔 世界小話』なる一書を著して、外国産のユーモアを掻き集め、日本人の体質に馴染みやすいよう翻訳・調整を施した上で注入せんと試みている。
その序言を参照すると、
人は勿論平時に於て真摯にして勤勉であらねばならぬ。けれども其間には少しづつ休憩して反省を試みる時が無くてはならぬ。此場合に於て活動の餘紅熱せる精神に一服の清涼剤を与へるものは
と、すなわちジョークとは単なる低劣な馬鹿話の領域にとどまるものにあらじと擁護して、それどころか下手な教師の長講釈よりずっと人生に有益だ、間違いないぞと述べている。
和田氏は日本人にしては、例外的に柔軟な脳味噌の持ち主だったとこれだけでも察しがつこう。
で、いざ目を通してみると、これが実によく出来ていて今の世にもそのまま通用しそうな話が多い。
昔の人がどんなことを可笑しく感じ、笑いころげていたのか――其処に想いをめぐらせながら読んでみるのも一興だろう。
現代のジョーク本にも決して劣らぬ、これほどの良書を朽ちさせるのはあまりに惜しい。
というわけで、これからまた暫くの間、本書の中から私が特に秀逸だと感じた話を抜き出し、つらつら書き並べてみたいと思う。どうかお付き合いいただければ幸いである。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
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