穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

丸木砂土随筆に見る因果の輪

 

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 1952年の本である。
 丸木砂土マルキサドと銘打ってあるものだから、てっきりどんなエログロナンセンスの大波が待ち受けているのかと半分期待、半分びくびくしながらページを捲ってみたところ、意外にも真っ当な良識に基いた穏当な文章が並んでいたので驚いた。

 

 何というか、逆に不意打ちを喰らった気分である。

 

 B29で作ったジュラルミンの三味線とか、二科会なる芸術団体が秋の展覧会に向けて前景気をつけるべく、豊満な身体つきの女を選び腰だけ隠して裸にさせて、自動車に乗っけてヴィナスと称して行列を組み、東京市中を練り歩いた話なんかが淡々とした文体で記されている。戦後まもなくの本だというのに、一貫して陽気な調子だ。
 そこが私の気に入った。当節筆を執るからといって、必ずしも焼け跡の惨たらしい光景や、嘗ての軍政批判に走らなければならない道理はあるまい。秦豊吉――丸木砂土氏はサド侯爵と同様に、自由な精神の持ち主である。

 

 特に「露伴の恋愛術」なる章からは得るところが大きかった。明治の文豪・幸田露伴が女が男を魅惑する技術について著述した、『風流艶魔伝』なる珍本の、謂わば感想文なのだが、これが思わず膝を打ちたくなるほど的を射ている。

 

 この本の中には、露伴西鶴から教わったらしいものと、自分の体験によるらしいものとの二た通りの意見がある。今日でも同感できるのは、露伴が自分で経験したものらしい方で、例えば女の目の魅力を説く中に、きぬぎぬに未練をひかせるには眠そうなあどけない眼がいいので、はっきりと眼を開くは悪いと言っている。こんな事は西鶴にもない。(53頁)

 

 この論に対して、私は全面的に賛同したい。きっと世の男性諸氏も大多数が支持するだろう。
 しかしこれを実体験・・・から汲み取れたとすると、幸田露伴とはなんとも羨ましい男ではないか。

 

 女が男をとろかすのに、言葉を用いる事はまずい、女は振で、しかもその振、仕草も、意味のない、訳の分からない振で男を蕩かすのがよいと教えている(同上)

 

 もっともこの辺りの事情については、近年よほど変化してきた。
 催眠音声、同人音声に代表されるが如く、いまや言葉で、言葉のみで女は男の脳を蕩かせる。丸木砂土随筆から六十余年を経た今日、再び露伴の恋愛術を現代の世相に照らし合わせてみるのも面白かろう。『風流艶魔伝』は目下私が是非とも手に入れてみたい一冊だ。

 

 

 閑話休題

 

 

 この『丸木砂土随筆』から特に取り上げたいと思った話はもう一つある。「吉田首相」と題された章がそれである。

 

 吉田茂の白足袋が、とかく目につくと冷評された時、鏑木清方画伯が、
「わたしも毎日白足袋をはいています」
 と気焔を吐いた。このゴシップも古くなってしまった。(153頁)

 

 吉田茂の白足袋といえば、今でこそ彼の威厳を示す好材料として引用されているものの、当時にあっては逆に批判対象であったらしい。彼を擁護するのに態々「気焔を吐か」ねばならなかったあたり、風当たりの強さが窺える。

 

 吉田の白足袋は貴族主義として冷かされたのだが、我々が新聞の写真で見ると、首相はいつも暑い時でも、ソフトカラアをつけないで、昔風の固いカラアをつけている。今頃どこの洋服店でも陳列していそうもない、白い固いカラアである。この点確かに吉田は立派な保守主義者である。ソフトカラアをつける事は、吉田のエチケットが許さないのであろう。ところが白足袋は問題になっても、誰もこの今時珍しい固いカラアをゴシップ記事に取り上げた話を聞かない。白足袋なら気がついて、面白がるが、固いカラアは気がつかない所に、世の中のゴシップが、いかにつまらないものであるばかりでなく、世の中の批評が余りゴシップ的に走っていることが分る。しかもこういうゴシップ的な見方が、大衆の思想になってくるから怖い。(同上)

 

 ああ、確かに昭和と平成は地続きなのだなと実感するのはこういう場合だ。
 贅沢は敵だとばかりにやたらと自粛を押し付けてくるこの種の手合いは、現代に及ぶも変わらず存在し続けている。特に東日本大震災以後、その動きが活発になったように思われる。

 

 吉田が首相でなかったら白足袋趣味も問題にはなるまい。そういう見方が既にゴシップ的であり、浅劣下等である。講和会議に出席する人達に、外国におけるエチケット心得書が配布されたというが、こんなばかばかしい話が本当なら、前代未聞で、外国人が聞いたら、さぞ笑うだろう。だから吉田の白足袋精神こそ、必要になってきた訳である。むしろ窮屈そうに背広に固いカラアをつけていては、あまり律義すぎて、外国人は微笑する。白足袋をはいてこそ、外国人はその清潔さに驚異するだろう。(154頁)

 

 そういえば、麻生太郎氏は吉田茂の孫に当たった。
 彼も首相時代、「ホッケの煮付け」だの「カップラーメンの値段」だの、およそ笑止な事柄で庶民感覚との乖離を散々批判されたものである。
 予算委員会の席で堂々と行われた漢字クイズに至っては、もはや思い出したくもない。
 日本憲政史上の汚点であろう。ああまで愚劣な沙汰事に、よくまあ平然と及べたものだ。

 

 祖父も孫も、贅沢奢侈なる同一の凶器で突き上げられる。因果は廻る、歴史は何度でも繰り返されるということか。

 

 

 

 


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