穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

※当ブログの記事には広告・プロモーションが含まれます

脳力と品性の不一致


 脳髄の出来と品位の高下は必ずしも一致せぬ、いやいやむしろ、釣り合う方こそ珍しい。


 禍乱の因子タネはいついつだとてそこ・・にある。才に恵まれ生まれ落ちると人間は、増上慢になりがちだ。あまりに容易く世界のすべてを見下して、「自分以外の誰も彼もが馬鹿に見えて仕方なくなる色眼鏡」を無自覚のまま装着かけちまう。周囲はむろん、本人にとっても不幸なことだ。


 なればこそ、脳髄の出来と品性と、それから身体能力までもが見事に一致したおとこ嘉納治五郎は言ったのだろう、

 


品性の伴はない才能は世に害をなす事が少なくないが、才能の伴はない品性は、よし大裨益をなす事がないにせよ、害を及ぼすことはないのである

 


 と。


「一利を興すは一害を除くに若かず」にも、何処か通ずる訓戒だった。

 

 

Kano-Jigoro-c1892

Wikipediaより、嘉納治五郎、32歳)

 


 まあ、それはいい。


 品性を伴わぬ才能が世間を毒した例として、格好の人物を以下に引く。


 赤門の住人、東京帝国大学教授、横山又次郎である。


 本邦古生物学界への、彼の貢献は計り知れない。


 ナウマン博士の良き補佐役で、地質調査事業に纏わる基礎固めを全うし、また「恐竜」を筆頭に、古生物に関しての優れた和訳を数多遺した。かつて地球に跋扈した、それら巨獣の通俗的な紹介にも随分功を立てている。横山の働きなかりせば、怪獣王ゴジラとて誕生うまれていたかどうか怪しい。まさに偉業、不滅の、不朽の、絢爛たる名跡である。

 

 

 


 ところがだ。ひとたび視線を私生活へと移してみれば、こは如何に。腐敗と汚濁の沼である。

 


「牛込五軒町に住む帝国大学教授理学博士横山又次郎(44)は、大学時代より不品行此上なく、雇下婢を容れて妻となし子二人を生み、後余所の花に見替へて之を虐待せしかば、妻は嬰児を刺殺して自害せり

 


 明治三十六年十月、日刊紙たる『日本』に掲載された記事だった。


 なんということであったろう。


 てめえから手を出した分際で、子供まで産ませておきながら、飽きたら途端に顧みず、余所の女に現を抜かし、空閨孤独を強いられて物に狂った女房は、とうとう子供を巻き添えに心中にまで至ったと。


 クズの所業としかいいようがない。どう見ても横山の所為だった。男としての責任感の欠如が招いた仕儀である。

 

 

Matajiro Yokoyama, Professor of Geology, Palaeontology and Mineralogy

Wikipediaより、横山又次郎)

 


「若気の至り」で寛恕され得る領域を完全に逸脱した事態。普通の神経の持ち主ならばここで当然の反省が起き、後を追って縊死するか、最低でも女遊びはキッパリ絶って身を慎もうとするだろう。


 が、横山は、そこがおかしい。


 もっとやった。


 記事は直後、こう・・続いている。

 


「洋行帰り以降は、ハイカラ一流の女色漁り、四谷の大谷木某の娘サダ子(32)を娶りて正妻としながら其病に罹りしを忌み、妻の妹リウ下女レンなどと通じ、終にサダ子を離縁せり

 


 もはや呆れる以外ない。


 妻が病んだら夫はどうする、看病するだろ、常識的に考えて。


 それを貴様、放置どころか、その妹に桃色遊戯を挑むとは、いったいどういう料簡だ? 本当に人間か、人間の皮を被っただけの畜生か? 脳髄の冴えと引き換えに、人間性を悪魔にくれてやったのか?


 こんな奴には、

 


 ――妻妾並んで一屋に住まば、金殿玉楼も亦畜生小屋なり。

 


 福澤諭吉の金言を、百万遍でも書きとらせるべきなのだ。

 

 

慶應義塾普通部

 


 蓄積された歪みはやがて、当然の結末を惹起する。


 横山自身が血を流す日がついに来た。明治三十六年九月二十九日に於ける黄昏時のことである。


 その有り様を、再三『日本』に窺おう。

 


「サダ子は夫の家を出でて後下宿屋、或は他家に奉公し、只管謹みて覆水盆に回らんことを期望して居たりしが、博士は之を顧みざるのみならず、更に二妾を納れて之を寵し、あらゆる乱行底止する所を知らざるにぞ、流石のサダ子竟に忍びず、去二十九日の黄昏博士が大学よりの帰路を森川町の往来に要し、ナイフを飛ばして左肩部を傷けしが、博士がヘコタレ腰になりて鼠の如く逃げ去り、すぐ様警察署に駈け込み願を為せしため志を得ず、再昨日検事局送りとなれり」

 


 ナイフ片手に帰路を待ち伏せ襲いかかりはしたものの、肩口を浅く裂いたのみ。


 暗くて狙いがつけられなんだか、女に迷いがあったのか、それとも男の悪運が異様に強靭だったのか。


 いずれにせよ、だ。――あわれサダ子は日本のジーン・ロレットになり損ねたようである。

 

 

(『Trek to Yomi』より)

 


 ただまあ、しかし、この椿事により報道の目が横山博士の上に向き、二十年来の不行跡、爛れきった私生活が暴かれたというわけだから、あながち無為でもないだろう。


 横山又次郎の心臓が脈動するのを止めたのは、これより更に四十年弱、昭和十七年まで待たねばならない。


 憎まれっ子世に憚るとは、やはり真であるようだ。

 

 

 

 

 

 

ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ