日本人とは、井戸掘り民族なのではないか?
妙な言い回しになるが、そうだとしか思えない。
海の向こうに巣立っていった同胞たちの美談といえば、十に七八、
(江戸東京たてもの園にて撮影)
アフリカ、中東、東南アジア、煎じ詰めれば発展途上諸国に於いて、言語の壁にも、甚だ不良な治安にも、決して
全地球的観点から眺めても、清冽かつ豊富なる日本国の水資源。ありあまるほどの恩恵を、大して意識することもなく――「日本人は水と安全はタダと思っている」――享受し育った身としては、黄土色の濁り水を無理矢理濾過して飲まざるを得ぬ第三世界の事情なぞ、ほとんど地獄と変わらないのに違いない。
なればこそ、その現実に直面した際、受けるショックは甚大で、
――なんとかせねば。
――こんな悲愴をどうして放置しておける。
と、義侠心にも似た感情がしぜんとむらがり湧くのであろう。
人によっては一生を左右されるほど、その衝撃は鮮烈だ。
で、そんな彼等の業績が「美談」して纏められ、やがて逆輸入されるに至る。構図にすれば、大方こんなものではないか。
(同上)
記録を探れば、明治人――十九世紀のご先祖方も、やっぱり井戸を掘っていた。
明治十年代初頭、江華条約の締結により開国させた朝鮮半島に於いてであった。
当時の新聞、『朝野』に曰く、
「今度開港になりし朝鮮国元山津は、従来井戸は一ヶ所しか無かりしを、我が商人が追々掘り穿ちしかど、夫れのみにては猶ほ不足ゆゑ、今更に数ヶ所の井戸を掘り穿つに付、府下の井戸職人永田直吉外数名は一昨二十六日横浜を出帆せしが、来月二日神戸港より観光丸に乗り替へ同国へ赴く由」(明治十三年五月二十八日)
大日本帝国は韓半島の水利のために――田圃の水すら天水頼みで灌漑設備の絶無に近い、彼の地の環境改善のため、半世紀以上の永きに亙り、実に巨大な資本を投じたものだった。
上はさながら、その前奏か、あるいは先駈けのようであり、一読するだに床しい気分に満ちてくる。
(『『HOMEFRONT』より)
戦後、小泉信三が、
「社会の制度は様々であり得るが、常に大切なのは、各世代が前代より受け継いだ国土を、そのままではなく、より好きものとして子供に伝えることである。今は他人の国であるから、あまり立ち入ったことを言わないが、日本人は嘗て台湾や朝鮮を、確かによりよき国土にしたといい得ると思う」
言い切ったのもむべなるかなだ。
福澤諭吉の膝下で育ったこの男、慶應義塾七代目の塾長は、竣工したての佐久間ダムへと足を運んだ際に於いても、
「今日この天工を奪う大工事を見て、日本人のために意を強くした。敗戦以来、人は国民の誇りというようなものを忘れたかと案じられる。このようなダムを日本人の力で造ったという実例は、無上の教訓と激励になるであろう」
これこの通り、いきいきとした名調子の演説を遺してくれたものである。
慶應義塾はいい人材を
それは揺るぎない確かなことだ。
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